東洋医学を学ぶときに混乱するものの一つが、現代医学と東洋医学の用語の違いである、臓器と臓腑の違いになります。違いを簡単に分けてしまえば、物質としての名前が臓器で、機能的な名前が臓腑と考えることが出来ます。
肝臓と肝で名前が似ているので、間違えたりすることが多いですが、肝臓は現代医学の用語として用いられ、肝は東洋医学の用語として用いられています。この紛らわしさが生じた背景には歴史が関係をしています。
東洋医学は中国から発祥して2000年は経過していると考えることができ、日本においても長い歴史があるもので、身体の説明に関しては、東洋医学の用語が用いられています。それが一般にも普及をしているということで、「元気」は気の種類という話を以前に書いたと思います。
東洋医学で肝は臓の一つとして考えられていて、臓とは清気を貯蔵すると言われます。そこから考えると、肝臓と表現すると、おかしなことになってしまいます。
清気:身体に必要なもの(気、血、津液、精と具体化されることもあります)
例えば、日本人に多い名前の鈴木ということで考えてみると、臓とは日本人という意味、肝は鈴木という具体的な意味で考えると、肝臓と表現する場合、鈴木日本人と同じような意味が続いてしまい、無駄が多くなってしまいます。
1700年代後半の日本では、『解体新書』が発刊され、西洋解剖学の翻訳をする必要があったのですが、その当時、それまで使っていた東洋医学の用語を応用したり、新しく名前を作ったりしています。
この基礎が現代解剖学・生理学にも使われているので、名前の意味としてはおかしくてもそのまま使われている状態になります。
そのため、東洋医学を学習するときに、肝は肝臓ではないのかと考えてしまうことがあるのですが、機能は肝、物質は肝臓と分けて考えることも可能になるのですが、そうした場合に問題が生じるのは患者さんへの説明のときになります。
東洋医学的に肝が悪いというときに、機能としての肝ということで考えるのですが、患者さんからしてみたら物質の肝臓になってしまい、「肝臓の病気と言われた」という結果になってしまうことがあります。
私自身も注意して話をしていたのですが、患者さんが「肝臓の病気と言われた」と医師に話したことによって、「肝臓の状態を検査していないのに病気と言うのは困る」というすれ違いが生じてしまったことがあります。
それから、機能や物質と話をしても患者さんに取っては訳が分からないので、「肝の問題だと考えられますが、肝臓ではありません」と話すことがあります。多分、この説明でも患者さんに取っては意味が分からないので、必要があれば具体的な臓腑の名前を言うようにしています。
では、どういう説明をしているのかということですが、例えば、「イライラしやすいというのは胸脇部の圧痛として現れていて、その治療として足のツボ(太衝)を使います」というように、症状と身体の圧痛、治療としてつなげて説明をするようにしています。
これが正しいかいいのかは分かりませんが、自分が話を聞く側としたら、症状と所見、ツボを組み合わせる方が、まだ分かりやすいのかなと思っています。
もちろん、東洋医学が好きで話をよく知っている方には、事細かに説明をすることがありますが、そうなると私自身も乗ってしまうからなのか、治療時間が長くなってしまうことがあります。
どうやったら分かりやすく話を出来るのかは今後も考えていきたいと思います。