気ままにいよう

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 気ままとはいい言葉だと思いますが、「気のまま」ということで、身体の声を聞いて時間を過ごすという意味ですよね。

 全てが気ままに出来ればいいのですが、人間には欲望があるので、「欲望のまま」になってしまうのは問題だと思うので、「欲望のまま」と「気まま」をしっかりと分けることが大切だと思います。

 

 身体の声を聞くと言うのは実は非常に大変で、気ままと思っていても、実は習慣や欲の場合が多くあります。例えば、気ままにしていて、食べたいと思ったときに、食べたいものを考えると思いますが、食べ物を選ぶときを考えてもらうと、何が食べたいかなという気持ちが出たあとに、「これは昨日食べた」、「これは作るのが面倒だ」という気のままではなく、欲や考えが影響をしてしまうことがあります。

 

 食事だと習慣や好みが出てくるので、気のままというよりも、食べたいという欲にもなってしまうので、身体の声である気のままにならないことが多いと思います。疲れてくれば塩気があるものを取りたくなったり、緊張が強ければ甘い物を欲したりしますが、これは気のままになるのですが、習慣になってしまえば、気のままではなく、この時間だし、小腹が空いたから食べようになってしまうと思います。

 

 身体を休めたい、運動をしたいという声が出てくることもあるのですが、その通りになかなかできない状況も多いですしね。電車の中で運動したいと思って、吊革で懸垂を始めたりしたら、人が周りからいなくなっていきますし、急停車で揺れがきたら危険性も高まりますしね。

 

 私も身体の声を聞こうとするのですが、欲の方が出てきてしまうことが多いので、気ままに過ごすことができないことが多いですね。

 

 あまりにも気まま過ぎると、人は社会の中で生きているので、社会性がなくなって困ってしまうところでもありますが、小さい頃から学校では規律があって、時間を守って行動をするというのが訓練されているので、気ままでいるのが難しい状態になってしまっているのではないかと思うときもあります。

 

例えば、食事は朝・昼・夜に食べるもので、昼はランチタイムに食べるものというのは完全な管理の状態から、習慣になって、身体の反応が形成されているので、気ままとは違うのではないかと思います。

 

 多少、はみ出しても気ままに生活するのは、人に迷惑をかけない限りはいいと思いますけど、管理がきついと気ままに過ごすのは難しくなりますよね。

 

 休みの日ぐらい気ままに過ごしたいと思う人が出てくるのは、この管理から逃れたいという願望もあるのではないかと思います。その奥に眠っている身体の声が聞けるようになると、健康管理にも役立つのではないかと思います。

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