卵が先か?鶏が先か?は、生物の発生とは何かと考える哲学の言葉として捉えられますが、卵かけご飯は美味しいし、焼き鳥も美味しいし、親子丼も美味しいしでいいのかと思っています。
卵が先か、鶏が先かと同じようにどちらが発生として先で主なのかを考えられるものに、骨と髄の関係があります。骨は髄を生じ、髄がおさまっているところであり、髄が骨を栄養していることで、骨が丈夫になることが出来ます。
では、どちらが先かというとこれは全く分からないですし、どちらが先だろうが後だろうが、現象として存在しているので、意味を深く考えなくてもいいのかと思ってしまいます。もし、どちらが先かを理論的に解明できたとしたら、自分は満足ですが、治療が大きく変わるということにはつながらないと思いますし。
骨が髄を生みだし器にもなっているので、骨が丈夫でないと髄を作ることができなくなってしまいますし、髄が不足をしてしまえば、骨を栄養できないので、骨が弱くなり、さらには髄が不足をしてしまいます。さらに、髄は髄海(脳)につながるものなので、髄が弱くなってしまうと、脳や頭部の異常が生じてしまいます。
この骨と髄の関係を分かりやすく考えれば、家の構造と考えていくことができます。家の構造は外壁と内壁や柱がないと存在できないのですよね。ツーバイフォーは違うというのであればツーバイフォー構造は柱がないですが、壁の中に支える構造が入っているので、柱は家の中ではなくて壁にあります。どうでもいい話です。
ということで、家の大まかの外壁が骨であり、その中で支えているものが髄として考えることができ、髄が十分あれば骨は栄養をされて強くなることが出来ます。
じゃあ、髄会の懸鐘を治療で使い続けて、髄をとにかく強くすれば骨粗鬆症に対しての治療となると考えるのも東洋医学的には正しい考えということができます。ただし、髄だけを増やして強くしても、外壁が壊れていたら、髄が漏れ出てしまうことがあるので、髄会を使うのであれば骨会の大杼も使うのが大切なのではないかと思います。
骨や髄をとにかく強くすればいいのだと単純に考えるのも間違いではないのですが、壁や柱を絶対に曲がらないような硬度なものにして、中の密度もあげてしまうとどうなるかと言えば、逆に傷が入ってしまうと構造としてはもろくなってしまうことがあります。
段ボールを何層にも重ねて隙間がない状態では曲げるまで時間がかかりますが、曲がると一気に曲がっていってしまいますが、箱の状態にして、中に少し支えがあれば、曲がったとしても形をもとに戻すことが可能になります。
このことから考えると、硬ければ硬いほどいいとは言い切れないので、全てはほどほどにしておくのが大切になります。
年を取れば、骨粗鬆症になるのは当たり前で、女性は閉経後にどんどんと弱くなってしまうので、骨会・髄会に骨・髄と関係する腎の治療は考えないといけなくなります。こういったことを考えていくことによって、骨会・髄会と治療で使えば、十分、東洋医学の治療と言えます。