流派を身に付けようとしたときに、そのやり方を覚えるのであれば数日あれば覚えられると思いますが、使えるということで身に付けようとすると時間がかかります。
理由は流派を作った人がいて、その人の考え方がベースになっているので、その人にならない限りは流派の全てを見に付けたといえないので、完成まで身に付けようとすると、一生では足らないと思います。
一生かけて、完成しないのであれば意味があるのかと考えることもありますが、完成しなくても、充実はしていくので、技術も知識も積みあがっていくので、自分が使うという点ではかなり有効になっていきます。
私はどの流派ということで学んだ訳ではないので、どのような仕上がりになっていくのかが分かる訳ではないのですが、鍼灸師としてやってきてみて、基礎知識と技術が見に付くと流派のやり方が使えるようになるのではないかと思います。
書籍などで知って、そのやり方を真似てみてもなかなか同じように結果が出ないので、そのままお蔵入りしてしまった書籍が沢山あるのですが、ふと思い出して10年近く経ってから、そのやり方をやってみたら、あまりにも治療効果が出て驚いたことがあります。それから、お蔵入りした書籍や資料を出しては試してみることをしたのですが、最初にやってみたときよりも格段に効果が出ることが分かりました。
その理由を考えたみたときに、鍼灸の練習は継続しながら、治療もしているので、単純に技術があがったというのが上げられると思います。思い出してみれば、水平刺・斜刺も昔は苦労しながらやっていた記憶があるのですが、最近はそれほど意識しなくてもある程度は狙ったところに入るようになっています。
もちろん、満足しきれる技術ではないので、日々、研鑽は必要なので練習などは行っていますが、流派のやり方は技術があがることによって使えるようになると知ってからは、以前と比べたら、使い方とやり方に対する意識が変わりました。
今までは刺入しようとするときに、狙ったところにいくようにというのだけを考えたいたのですが、深さや構造、方向なども熟慮するようになっていったので、解剖学の知識もより必要になっているのを感じています。
こういった一つ一つの積み重ねが技術向上に取っては非常に大切ですし、鍼灸の治療という部分に生きてくると思います。
大分、話しが反れてしまいましたが、流派の技術を身に付けようとするときにも数年すると何となくパターンとやり方が分かるようになると思いますが、そこが入口で、自分なりの考察や考えが生まれてこないと見に付きにくいので、多くの人は流派に長く所属することが多いと思います。
それまで流派に属していなかった人も自分のやり方の指標を作るということで、一つに所属をして、本当に少しでも自分の技術にしようとする姿勢が出てくるようになりますが、そうなってくると治療効果も大きく変わってくると思います。
早く完成させたいという気持ちを持つのは当然なのですが、一生の仕事になりますし、手についた技術は劣化することもありますが、0にはならないので、スキルアップを目指すという気持ちが大切だと思います。