治療家の心得

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 治療家の心得として大切なのは古典の中で言われている治病求本になるのではないかと思います。

 治療家の心得として必要なのは慈愛や誠意と表現をすることもできるのでしょうが、慈愛や誠意は人としての心得の方がいいのではないかと思います。何故かと言えば、人は他の人と過ごすのが当たり前の社会を形成するもので、他人との関わりが絶対的に必要になり、他人と関わるであれば、家族も含めて慈愛と誠意を持って接することが根本ではないかと考えたからです。

 

 治療家だから慈愛や誠意を持つというよりは、慈愛や誠意を持っている人だから、人と強く接する治療家にはいいと考えられるので、心得というよりは素養になりますね。

 

 例えば、親が子どもに対する接し方は、慈愛と誠意になるでしょうし、触れることに関しても、慈愛と誠意を持って触れるので不快ではなく、愛情や誠意を感じるので、親と子の触れ合いというのが大切になると思います。

 

 治療家は人として愛情あふれる人であれば、患者さんに対しても真摯に向き合うことになるので、信頼を得やすく、患者さんもついていこうと思うはずです。

 

 では治療家として考えた場合は、治療というのをメインにする以上、病については積極的な視点を持たないといけないので、治病求本が心得として大切だと思います。治療家が治療に対して真摯に向き合わなければ、治療家ではなく、普通の人と同じになってしまうので、治療家で居続けることを選んだ以上は、病に対する探求心が大切だと思います。

 

 治療家としてデビューした時は、右も左もわからないので、いろいろと吸収をしていき、だんだんと慣れていきますが、この慣れが出てくることによって、目の前のことが当たり前で変化のないルーチンワークになってしまい、本を求めることが少なくなってしまうのではないでしょうか。

 

 経験があるからこそ、目の前の患者さんが以前のどの人と似ているから、こうやってやれば治療を出来るとわかるのは当然のことになりますが、それが本当に大切なことなのでしょうか。

 

 違うということがありえるかもしれないので、本を追及する姿勢は慣れてきたときこそ発揮をした方がいいのではないかと思います。もちろん、この文章は自分に対する戒めでもあるので、心得とは何かについて考えてみたわけです。

 

 患者さんでも仕事で大成された方は、産みの苦しみではないですが、努力を重ねて到達できた境地というのがあるようですし、治療家も同じように、積み重ねていくことが大切で、漫然と積み重ねるのではなく、どんどんと積み重ねていくことがスキルアップにもつながるし、治療家としても大成するのではないかと思います。

 

 治療家としてはどんなときでも焦らない落着きも大切になりますが、落ち着きは治療家独自というよりも、人として経験を積んでいくことで落ち着きが出てくるので、落ち着きは人としての成長と言えるのかもしれないですね。

 

 落ち着きは熱意を失った状態ではないかと若い時には感じることがありましたが、年をとるにつれ、いろいろな意見や物事がわかるようになったので、一つの方向に感情を出さなくなってきたというのが理解できるようになりました。

 

 治療に対しては柔軟でなければいけないという心得をあげることもできるでしょうが、柔軟な姿勢というのは、人として持ちたい素養の一つなので、これも治療家独自というよりも、人として身につけたいものになりますね。

 

 どんな物事でも、自分の力を信じて、やりぬくことが大切でもありますが、柔軟性を持ち、他人を受け入れて追わないというのは、社会の中で生きていく上では必須のことなので、その時々の状況に合わせて柔軟で居られるようになるのは、年とともに固まらないという点で大切なことだと思います。

 

 ただ、難しく考えていても成り立つものではないですし、疲れてしまうので、治療であれば治療に集中するという当たり前すぎることを大切にするのがいいのではないかと思いますね。

 

 いろいろ難しく考えると、それはそれで勉強になるのですが、そこまでやったところで何になるのかという疑問も生じますし、だらだらと言うよりは目の前に集中するのが重要だと思います。

 

 最近は、出来ることを出来るだけやるというのを基本スタンスにしているので、出来ることを出来るだけ行ってみるという実験の段階ですね。それが、いい結果を生むのかどうかはさっぱりわかりませんが、出来ることを出来るだけやってみようと思っています。

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