東洋医学を使って治療しようとすると、五感を働かせて、どういった症状や所見があって、身体がどんな状態なのかを考えていく必要があるのですが、なかなか治療まで結びつきにくいという人もいるのではないでしょうか。
例えば、「身体がだるいのですよね」という方がいた場合は、情報が少なくてどんな状況も考えていくことが出来るのですが、この表現を倦怠感・身重と考えるのであれば、精虚、気虚、痰湿の問題が発生をしているのではないかと考えていくことが出来ます。
これは身体の状態を気血津液で考えたことになるので、他の考え方を考慮することができます。
例えば、気血津液という3つの分類として考えた場合は、気は運動、血は栄養、津液は潤いと関係をするとしたら、身体が動かしにくいということは、気の運動する力の低下なのか、血が栄養できなくてだるいのか、津液(水)の不足または停滞によってだるいのかなと考えていくことが出来ます。
これを先程の、気血津液弁証として考えていくと、精虚、気虚、痰湿の問題でも悪くはないですが、血虚がないので、血虚の可能性を頭の片隅に置いておくことが可能になります。
そんなことをしたら面倒になるだけで悩むのではないかと思うかもしれないですが、精虚、気虚、痰湿の治療をしても効果が見られない場合は、血虚で考えてもいいのではないかという別の考え方が出てくるので、頭の片隅に置いておくだけでも、今後の治療に役立つことがあります。
気血津液弁証だけでは臓腑との関係が分からなくなってしまうので、精虚であれば腎が関係をしやすいし、気虚はいろいろな臓に生じるから尋ねたり、確認したりすることが多いなというのが分かるかと思います。痰湿の場合は、痰湿を生成してしまうのも取り除くのも脾が重要になるので、脾が治療の中心になるのではないかと考えていくことが出来ます。
身体のだるさを臓として考えていくことも出来ます。肝であれば疏泄の失調によって抑うつが発生したためか、蔵血という栄養・血の調整作用が低下をしてしまったことで、筋を動かしにくくてだるいのかと考えることが出来ます。
心であれば主血の働きが低下をして身体が栄養されていないためか、神志という精神的な抑うつが生じてしまったことで発生したのかと考えることが出来ます。
脾であれば運化の働きが低下をしてしまったために、痰湿が生成されてしまったり、気血の生成がうまくいかなったりして発生したか、昇清の働きが低下をして、気血が頭部に巡らずに、動きたくないのをだるいと表現しているのではないかと考えることができます。
肺であれば治節という身体の気・津液の調整を行う働きが低下をしてしまったために、だるさが発生をしてしまったり、水の上源であり貯痰の器に痰湿が停滞をしてしまったりするために、水の循環不全が生じてだるさとして出ているのではないかと考えることが出来ます。
腎であれば蔵精の働きが低下をすると、身体を支える骨の働きが低下をしてしまっているので、立っているのがだるいと言うのが出やすいので、蔵精の異常ではないのかと考えることができ、納気の問題であれば呼吸がスムーズにいかないからだるいのではないか、主水の異常であれば水の停滞が発生をして、浮腫みなどが生じやすくなるので、だるいのではないかと考えることが出来ます。
他にも、四肢は肌肉と対応をするので、四肢のだるさが中心では脾と考えることが出来るので、脾の病証としては適切ではないのかと考えることが出来ますし、腎は骨・髄と関係をしていますが、髄の不足は下腿(すね)のだるさとして現れることがあるので、四肢のだるさであれば、脾か腎と絞ることが可能になります。
こういった症状が気血津液だとどうなるのか、臓腑だとどうなるのかを考えていくことが大切になるのですが、これだけだと治療に結びつかないので、他の情報が必要になっていきます。
例えば、身体のだるさだけではなく、自汗が発生しているのであれば、気虚の症状である自汗が発生をしているので、気虚として考えることができます。他には、衛気の働きが発汗にも関係をしているので、衛気の問題があるのではないかと言えますね。衛気との関係でいえば、肺との関係が密接になるのですが、気虚が全て肺という訳ではないので、他の臓も考えていく必要があります。
脾の働きは気血の生成を行うところなので、気虚を発生することが多いので、気虚とあれば、脾を疑うことも多いです。腎の働きが低下をした場合にも発生をすることがあるのですが、腎は気虚というよりも精虚の方が発生する可能性が高いと考えられるのですが、発生をしない訳ではないので、腎も疑う必要があります。
肝は気虚とは関係が薄く、気滞という実証が生じることが多いので、自汗という情報が出てきたことによって肝は否定することができますね。心はどうかというと、汗は五液で心と関係をするので五行から考えても心の可能性は否定できないですし、心は気虚も発生させるので、心は考えていく必要があります。
こうやって身体の情報を少しずつ集めることで、気血津液ではどうなっているのか、臓腑だとどうなっているのかを考えていくことで、治療への方針を考えていくことが出来ます。
症状を尋ねていくだけでは難しいところがありますが、その代わりに四診を使って、他にも情報を集めていくことが出来ます。例えば、脾の問題を疑ったのであれば、舌の中央、胖大舌、歯痕を診ていくことで脾か痰湿ではないかと絞り込みをかけていくことができますし、脈診を行っていくことで、虚証なのか実証なのかを鑑別すると、身体の状態を絞りこんでいくことが可能になります。
治療までの過程でどういったことを行っているのかを考えたときに、気血津液、臓腑を考えながら話を聞いて、見て、触っていくのが東洋医学の治療までの考え方になります。