東洋医学の勉強は山登りと同じです

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 東洋医学を勉強しようとすると、どうやったらいいのかさっぱりわからないし、東洋医学を知っている人に聞いても、理解をしにくいという気持ちが生じるのではないでしょうか。

 物事を勉強していくときには、何事も初めはどこから手を付けていいのか分からないですし、始めてみても全体像がつかめないので意味が分からないことが多いのではないかと思います。

 

 スマホやパソコンでも全部の使い方を知らなくても、自分が使うところを使って、必要になったら教わって使っていき、段々と全体像が見えてくるのと同じで、東洋医学も知識の肉付けが重要になっていきます。

 

 スマホやパソコンは、全てを知っている人がいなくても、何となく使えるものですし、東洋医学も同じように、ある程度の知識が入ってくれば使っていくことが出来るものなので、日々、見て・考えても理解できなかったとしても、その歩みは無駄になることがないので、山登りと同じような物だと言えます。

 

 山に登ろうとしたときに、案内図がなければどこから登っていけばいいのか分からない物ですし、登っている最中も、このルートが正解かは分からないですよね。

 

 全く分からない状態でもひたすら上の方に向って歩いていけば、段々と高いところまでくるので、その時に、自分が歩いてきた道を振り返ってみると初めてルートが分かります。振り返ってみたら、回り道をしていた、真っすぐに来られたというのが分かるので、ある程度進んでいかないと自分の位置が分からないです。

 

 頂上までの距離も、ある程度の高さまで来ないと距離と実感が伴わないので、どのぐらいのところまで到達していて、後、どれぐらいかかるのかというのが分からないので、進むというのは非常に大切なことですし、登ってみないと分からない物だと言えます。

 

 頂上に近くなったとしても、意外と距離があって時間がかかったということは多いですが、東洋医学の学習も同様で、理解できたようでも理解できていなかったのかもしれないと後になって気づくことも多いと思います。

 

 私自身は、こうやってブログを書いて理解を出来ているように書いていますが、数年後に見直してみたら、間違っていただろうと思うことがあると思います。

 

 何故、山登りの話しを書いたかと言うと、過去に富士山に登ったことがあるのですが、登っている最中は何が何だか分からないし、ただの岩場にしか思えなかったのですが、頂上まで到達してみて見られる景色、上に昇らないと見えない景色があり、上から見ると、下の様子がはっきりと見えますが、下にいたときには何も分からなかったという経験と同じような物なのかなと思ったからです。

 

 富士山はゆっくりと登っていけば、高齢な方でも登れる山だと言われていますが、高い山は変化も大きく、身体にかかる負担も強いので、登ってみたい方は、しっかりと準備をして行く方がいいと思いますよ。後、ゴミは持ち帰りましょうね。

 

 山登りだけではなく、初めて行く土地は、土地勘がないので、時間が読めないし、かなり時間がかかった気がしますが、帰り道は早く戻れた感じがしますよね。もちろん、道を覚えていないので、帰りの方が時間かかったということや、スマホで地図を真剣に見ながら歩いていたし、時間を計測していたから同じだったというのは除きますよ。

 

 何事も初めて挑戦するときには、とてつもない物に感じていくでしょうが、始めてみると慣れてきて、段々と自分の理解に収まってきて、さらに挑戦をするのが通常なので、東洋医学の勉強を始めようと言う方は、一歩一歩進んでいくと結果にたどり着くと思います。

 

 私自身は頂上に到達している訳ではないので、まだまだ歩みが必要な者ですし、自分がどこまで到達しているのかという全体像が全く分かっていませんが、少しずつでも知識を広げ、理解をしていくことで、どこかに到達できるのかなと思って、日々を過ごしています。

 

 真面目に精進をしているという感じですが、ほどよく遊んで、ほどよく息を抜くのは忘れないようにしていますし、一度きりの人生なので、楽しくいこうと思っています。そう考えると、東洋医学は仕事であると同時に好きでもあるのですかね。

 

 理解をするのは楽しいけど、勉強は好きではないのですけどね。不思議なものですね。

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