最近言われなくなったこと

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 私が鍼灸学校に通う前と通ってから、卒業してしばらくしてからは、鍼灸という話しをすると、目が見えるのにという話しをされていましたが、最近はそういうことを言われることが少なくなったなと気づきました。

 鍼灸学校に通おうかと考えているときに、年上の方と話しをする機会があると、知っている人は知っているけど、結構、いろいろな人からそういう話しをされていましたが、最近は、医療関係以外の方に会ったときでも、言われることがなくなったなと思いましたね。

 

 たかが10年程度のことなので、鍼灸は目の見えない人が行うという話しをする人が全て亡くなったという訳ではないでしょうし、何で言われなくなったのかなと考えてみました。

 

 理由は美容鍼灸などで、鍼灸の広告が増えたし、普及をしたのだろうというところですが、その根底には規制緩和によって学校が増えたというのがあるのではないですかね。

 

 ビジネス系の書籍も多く読んでいるので、規制緩和は大きなビジネスチャンスと捉えることが多く、全体が大きく動き出すことがあるという話しがあるので、学校が増えたことによって大きく変わってきたのかなという気持ちがあります。

 

 学校が多くなると、学校同士の競争が出てくるので、外部への広告活動が積極的になり、鍼灸師が増えてくることで、鍼灸師の広告が増えるので、全体的に広告の量が増えることで、一般の人が目にする機会が増えるのではないでしょうか。

 

 もちろん、この期間というのはインターネットが広く普及をしているときなので、インターネット上での広告が広がったことの影響もあると思うのですが、学校の設立規制が続いているようだったら、広告しなくても学生が集まりやすいので、やはり緩和によって普及をしたのではないかと思いますね。

 

 ただ、まだまだ鍼灸の内容に関しては理解をされていないところもあると思うので、内容が少しでも普及をするのには、時間が必要なのだろうなと思います。最近は、鍼灸や東洋医学に関してブログを書いている人が増えていますし、特定の疾患について詳しく書いている人もいるので、そういったところが業界全体を支える力にもなっているのかなと思います。そう考えると、このブログも少しは業界の役に立っているのかなと思いましたが、一般の方よりは、初心者向けなので、そこまでではないですね。

 

 鍼灸師と名乗ると整体師と言われることが多いですが、あん摩マッサージ指圧師だと、鍼灸という特殊性がないので、揉み屋・整体師のどちらかでしか言われないですよね。ツボや東洋医学の勉強をしているイメージも少ないのではないでしょうかね。

 

 そう考えると、あマ指の資格が取れる学校が増えると、あマ指に関しても普及をして、無資格に対する対策にもなると思うのですけど、どうなのですかね。

 

 視覚障害者は、あマ指の資格が取れるので、資格から職域を奪ってしまうと考えることが出来ますが、守られ過ぎていると、どんどんと取り残されてしまうので、普及拡大して、雇用を作り出す方がいいのではないかと思います。

 

 あマ指資格保有者が増えると、一般にも知識として普及をしやすくなるでしょうし、無資格で行っている大手も資格者の獲得に動くかもしれないですね。そうなってくると、自然と無資格対策に繋がる部分はあるではないでしょうか。

 

 視覚障害者は資格取得が限られますが、障害者の雇用で助成金がある状態なので、あマ指施設が普及拡大したら、雇用を創出して、障害者を守ることにもなると思うのですけどね。

 

 物事を考えるときには、陰陽で考えていくことが出来るので、雇用ということで考えれば陽ですが、陰の面としたら一時的に雇用をされにくい状態になる可能性はありますね。

 

 長期的な展望としては、陽の部分は普及して安定するということですが、陰の面としては資格者が増えることによるデメリットですかね。

 

 デメリットとして考えられるのは、鍼灸師とあマ指師は保険医療を行うことができますが、保険医療を行う人数が増えると言うことは財政を圧迫してしまうので、国や保険会社の財政を悪化させてしまいます。

 

 保険財政ということを考えた時には、鍼灸師・あマ指師は医師の同意書が必要になるので、入り口の部分で管理をされているので、制限をかけるのはかけやすいと思います。もちろん、必要な方が受けられて、不必要に受けるということがないような管理の仕方は大切だと思いますが、保険財政の中では鍼灸とあマ指は大きなものではないので、保険財政を本当に考えていくのであれば過剰医療を本当に考えないといけないのではないかと思います。

 

 落語は会話の勉強を兼ねて聞くことがあるのですが、医師や医療を扱う題材だと、最近の病院についてという話しがあったりしますよね。

 

「あら、鈴木さん今日も早いね?」

「いつも、1番だからね。最近は、病院が開く1時間前だと人がもう並んでいるからさ。最近は2時間前から来ているよ。」

「2時間前?お元気ですね。」

「朝、起きて散歩したらやることなくてさ。」

「あら、そういえば、佐藤さんは?」

「佐藤さん、今日は体調が悪いから家で寝ているみたいだよ。」

 

 ここで、「調子が悪い時に来るのが病院じゃないのか」という突っ込みを入れて、場を温めたりするようですが、こういった状況が当たり前となっているのであれば、是正することでかなり医療費を削減できるのではないかと思います。整骨院で働いているときに同じような状況はあったので、確かに、あるなという話しですね。

 

 ただ、これは財政を守るという点ではプラスになりますが、高齢者は痛みが全くないという訳ではないですし、行くことで少しは軽減されるので、その軽減分がなくなるのは、受ける側からしたらマイナスになりますね。

 

 医療施設からしてみたら、来院人数の減少になるので、院を運営していくためには経営を安定させなければいけないのですし、万が一のときに在って欲しいのが医療施設なので、経営の安定で言えば、こういった方がいるということが安定に繋がりますね。

 

 ただ、このモデルは人口が増え続けて保険への支払いをする人が多い状況なら成り立つものですが、支える世代が減少をするのであれば、破たんへ向かっていくしかないと言えますね。

 

 どこかを変えれば、その影響は他にも及ぶので、何が正しいのかを予測するのは難しいことですが、状況と今後を考えて必要な措置を取ることが大切なのだと思いますね。

 

 話しが反れてしまいました。医療財政を守るためにセルフメディケーションという概念が出てきて、病院に行く前にドラッグストアや薬局にいって薬を買うというのを勧めていますが、いっそのこと規制緩和を強めて、学校教育で東洋医学を勉強して鍼灸などを自分で出来たら、医療財政を守ることにもなり、他の国から見たら、全員が鍼灸・あマ指師という特殊な環境を作るのは、インバウンドとしては面白いと思いますね。

 

 そんなことをしたら、管理するのも大変だし、教える方がいないので、大混乱ですね。ただ、自分の身体は自分で守るというのが今後は必要になってくるので、身体に関する教育は拡大する方がいいですし、そのためには、指導者となる資格者が増えるのはいいことだとは思いますけどね。

 

 もちろん、競争が生まれるので、日々、研鑽していかなければいけないので、大変だという話しがありますが、どんな仕事でも研鑽をしていかなければいけないので、競争があろうとなかろうと研鑽していかないといけないのは当然ですし、そうなると結果的に他とも競争することで、いい形が作れる可能性もありますね。

 

 保険財政だけではなく、資格者が多くなると、リスク管理も必要となるので、その点では本当に留意をしないと、健康被害が多く発生してしまうでしょうけど、国家試験という壁があるので、ある程度のレベルは保てるのではないかと思います。

 

 緩和の反対が規制なので、資格取得に関する規制が入ってくるようであれば、競争原理が働きにくくなるので、ある程度の規制は必要だと思いますが、過度の規制はない方がいいだろうなと思いますね。ただ、これは一個人が決定できることではないので、どのような形なるのかは分かりませんが、個人的にはリスク管理はしながら規制緩和に向かう方がいいと思っています。

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