邪と毒の違い

Pocket

 東洋医学の書籍を読んでいると出てくる単語に、邪と毒がありますが違いがあるのでしょうか。

 書籍を読んでいると、邪毒と言われることもあり、同じような物だけど、違いがあるのではないかと思って、少し考えてみました。簡単に考えていくと、邪より悪くなったものが毒と考えることもできるのではないかと思ったのですが、もう少し違いがあるのではないかという疑問ですね。

 

 どうやって調べていいのか分からないので、まずは漢和辞典を使って、邪と毒にはどんな意味があるのかを見てみると、邪には「よこしま、正しくない、まがっている、逆さま」という意味があるようで、毒は「命や健康を害するもの」という意味があるようです。ただ、邪にも「有害」という意味があるようなので、毒と似た概念であるということが分かります。

 

 邪という漢字をもう少し詳しく見てみると、地名でもあったようですが、牙という漢字は、ちぐはぐに噛み合う歯のことで、阝は邑(むら)という意味があるようですね。そこから考えてみると、邪という意味はかみ合っていない物と考えていくことができるのですが、東洋医学で考えるときには何が噛み合っていないのかなと思いました。

 

 邪という言葉で使われる代表的な物は、外邪がありますが、外邪は風寒暑湿燥火であり、これは自然界に存在する清気であると言えます。清気だけど、過ぎてしまった場合、身体が障害されやすいときには、自然界の清気である風寒暑湿燥火は身体を害する存在となってしまうために、もともとは自然にある物だけど、有害にもなり得る物ということで、外邪という表現が使われたのではないでしょうか。

 

 内生五邪は、身体の問題によって、外邪が身体の内側から作られてしまうために、風寒暑湿燥火から暑以外の物が該当をしています。邪気という場合には、本来では正気であるものが、身体に問題を加えるようになった状態のことを指しているのだろうと考えることができます。

 

 毒という場合には、自然の物を取ったときに、身体をすぐに壊してしまうという意味が含まれているので、正気という概念が含まれない物になっていきます。命と健康を害してしまう物でも、場合によっては薬として使える物があるので、通常は毒薬という単語が使われています。

 

 東洋医学で毒薬が使われている理由としては、毒を与えることで、生命力に危機的状況だと錯覚をさせ、それによって身体の自然治癒力を高めていたのではないかと思います。何故なら毒という物は、身体に与える作用が強すぎることによって有害になるので、量を抑えていけば、刺激が強い物として扱え、他の生薬によって、毒を排泄する働きを加えていけば、毒が身体を害する前に排出できるようになるという考えなのではないでしょうか。

 

 「毒をもって毒を制す」という言葉がありますが、身体の中で邪の阻滞が強くなってしまったことにより、正気としての機能が失われてしまい、身体を害するだけの物になってしまった強い力を発揮する毒を倒すのには、毒しかないということで、使われた言葉なのでしょうね。一般社会の中でも濃い人を制するには濃い人がいいという実体験も踏まえて理解をされやすいので、今でも言葉として有効なのだと思います。

 

 邪と毒の違いは、邪の悪化をした状態が毒と表現をすることもできるのでしょうが、邪は正気でもあり、バランスが崩れてしまっただけの物であり、毒は邪とは概念が一切違うということなのではないでしょうか。

 

 邪毒という言葉が使われていくのは、身体を害するだけの毒だけど、元は正気でもあるという意味で邪が使われているのではないでしょうか。邪毒と言えば、元は正気でもあった物が身体に強く影響をしてしまい、身体を害するだけになってしまったこまった状態と表現を出来るのではないのかなと思います。

 

 こういった視点で考えてみると、書籍の中で書かれている邪と毒という言葉を見た時に、どういった状態なのかを考えていけるのではないでしょうか。

Pocket