仮神(かしん)と除中(じょちゅう)

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 東洋医学では身体を外側から観察をすることによって、身体の状態を診察していく方法ですが、注意が必要な物に仮神と除中があります。

 仮神は亡くなりそうな状態だったのに、突如病状が改善したような状態になることをいい、亡くなる直前の状態の一つだとしています。治療をしていると人が亡くなる直前まで対応をする場合も出てきますが、そういう状況を経験した人に話しを聞くと、急に元気そうになって治るのかと思ったことがあったという話しを聞くことがあるので、仮神というのは説明ができないけど、状態としてはあるのですね。

 

 除中は、亡くなる直前に一時的に食欲が亢進して、病状が改善したような状態になることなので、仮神と同様なのですが、食事と関係をするのが違うところです。

 

 除中の「除」という意味には、「とりさる、はらう、古いものを捨て新しいものを迎える」という意味があるので、除中の「中」は中焦のことを言っているだろうと思います。中焦は脾胃と関係をする場所であり、飲食物の消化・吸収に大きく関係をしているところなので、病によって、中焦の働きが低下をして、食べられなくなってしまった人が、急に食べられるようになったので、中焦の問題が除かれたという意味になるのでしょうかね。

 

 そう考えると、治ったということとして考えることも出来てしまうのですが、一時的という意味はどこから来ているのかなと不思議に思いました。

 

 「除夜」という言葉で使われている「古いものを捨て新しいものを迎える」という意味で考えていくと、古い身体から新しい状態に向かうと言うことで死へ向かうと言う意味を持たせることが出来るのかなという想像してみました。

 

 中医学の用語は簡潔に書かれていますが、その本質はどのように名づけたのかということについては、あまり説明が見当たらないので、想像をしていくしかないのですが、深い意味まであるのかなという疑問ですね。

 

 鍼灸師として働いていると、仮神と除中を見るという機会は非常に少ないと思いますが、人は亡くなるのが定めと考えていくと、家族や自分の状態を判断するのには役立つのかなと思います。

 

 ただ、自分に役立つかどうかは、その時に認知症になっていたら、自分のことも分からなくなっているので、役立つことができるかは分からないですね。

 

 仮神や除中を知っておくと言うことは、その方の死期を考えていくことが出来るので、準備が出来ると言うことでは、死脈と共に重要なものだとは思いますけど、使うところが少ないですよね。

 

 古代の中国では、病気を治療するのは命がけでもあったので、死期を悟るというのは非常に重要なものだったと思います。

 

 古代の国は皇帝や王の治療をすれば、立身出世することができますが、病気を知るということは、身体の調子が悪く、国が傾く可能性を知ることにもなってしまうので、場合によっては治療で完治をしたとしても、機密を守るために、医師を殺害することもあったのだろうと思います。

 

 病気がよくならないと思って治療をすれば、最終的に責任問題にもなるので、処罰の対象になるでしょうから、仮神・除中・死脈を身に付けるのは重要な物だという認識があるのかもしれないですね。

 

 司馬遷が書いた『史記』という書籍に、扁鵲と倉公という人物に関する列伝があります。扁鵲と倉公は伝説上の人物ではないかという話しがありますが、その当時の医療に関する話が書いてあるので、鍼灸師であれば一度は目を通しておきたい物だと思います。

 

 その中で、扁鵲が桓侯という王様に呼ばれて行ったときに、病気があると話しをしたら、桓侯は病気ではないと言い、数日後にまた扁鵲が桓侯に会ったら病が進行しているという話しをするのですが、桓侯は病気ではないと言い。この問答を数度繰り返した所、4回目に桓侯に会ったときに、見ただけに逃げ、桓侯が亡くなったという話しがあります。

 

 後日談として扁鵲がある人に話した内容は、1度目は身体の表層にあるので、煎じ薬と貼り薬で治ったはずで、2度目は中に入ったので、鍼や石鍼で治療すればよくなったが、3度目は腸胃に入ってしまったので、酒醪(しゅろう)を使えば良くなったはずだが、4度目では病が骨髄に入ってしまったので、治ることがないという話しが書いてあり、その当時に病の進行について考えられていたのだということが分かります。

 

 今は、ネットのブログなどで、「扁鵲倉公列伝」と検索をすれば、解説を含めていろいろ出てくるので、まずは目を通してみるのもいいのではないでしょうか。

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