守破離(しゅはり)は本当に大切なのか

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 鍼灸は技術と言えるので、守破離が大切だと言うのはよく分かるのですが、それが本当に正しいのでしょうか。

 鍼灸という技術職についているので、守破離が大切というのはよく分かっているのですが、自己否定もしていかないと本当に何が大切なのかが分からないので、一回否定をしてみたいなと思いました。

 

 何事も基本が大切になってくるので、守破離が大切であるというのはよく分かるのですが、大きな影響を与えた人が全て守破離だったのかを考えたときに、イノベーションを起こすという状態は守破離からも外れているのではないのかと思いました。

 

 例えば、こうやってブログという物自体はネットを通じてみることが出来ますが、ネットを作ったというのはそれまでになかったものを作り上げたので、守破離ではないのではないかと言えないでしょうか。

 

 新しいサービスや商品は確かに、それまでの物を改良した物であることが多いですが、そういった概念を超えて出てくる物に関しては守破離だけではできないのではないかと思うことがあります。

 

 技術で考えたときにも、何年のその人なりのやり方を追求した結果、完成した技術であれば、守破離でしか作り出せない物なのでしょうか。逆に守破離を重視する状況であれば、新しい物を受け入れる土俵が無くなってしまい、創造性が欠如をしてしまう可能性があるのではないでしょうか。

 

 例えば、筆で字を書く仕事というのがありますが、本当に奇麗で均一な物であれば、パソコンを使ってもいいのでしょうけど、そうではなく、個人の力が重視されるのは、均一であるということから抜け出した何かがないとできないので、不均一という点も重要なのではないでしょうか。

 

 他には、技術・芸事として落語・飲食店などもありますが、同じことを出来たとしても、人が違うので、同じでは認められないので、「違う」ということが重視をされるはずなので、技術に関しても個別性というのはかなり大切なところになっていくのではないでしょうか。

 

 鍼の技術ということでも基本はあるのでしょうけど、何年も自分なりのやり方で実績を積んで、形になるのであれば、その技術を学ぼうとして、書籍が出て、講習会も行われるでしょうから、それは守破離が大切だったのでしょうか。

 

 こうやって考えてみると、守破離ということでは守というのも非常に大切になってくるのですが、破離というのがとにかく重要で、守というのはほどほどでもいいのではないかと思うことがあります。

 

 形を守ることで、自分の中の気付きが生まれ、そこから自分なりの改良をしていくのが破という状態であり、そこから完全にオリジナルになるというので、離があるのですが、守を中心ではなく、離を重視して行っていくのも一つの方法なのではないかと思うことがあります。

 

 とまあ、色々と書いてきましたが、新しいイノベーションも今まであることを考え抜き、将来に目を向けることで出来てくることなので、守というのは絶対に必要なのですけどね。

 

 否定はしてみましたが、結局、守破離と言う言葉の中に全てが納まってしまうのかなという印象がありますが、自分の技術を向上していくためにも、否定と肯定を続けていかないといけないなと思いました。

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