感覚に頼るだけでは成長しにくい

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 鍼灸だと、身体の反応をみて治療をするので、感覚を研ぎ澄ませて、身体の反応を診ることを重視することが多いと思います。

 反応をみて治療をしていくので、経穴を触れていく時にも感覚を重視するのが当然なのですが、感覚だけを重視していくのは問題もあると思います。鍼灸師と話をしているときに、身体の反応を重視するので経穴の位置に拘らないという話があるのですが、危うい部分があるといつも思ってしまいます。

 

 確かに感覚に頼ることは大切なのですが、感覚は非常に微妙なものなので、体調によっての変化も生じることが多いですし、反応だけに集中をしてしまうと、治療でどこを使ったのかという定義付けが非常に難しいことになってしまいます。

 

 もちろん、感覚を研ぎ澄ましていき、感覚に頼るところも必要になってくると思いますが、知識と感覚は両輪である方がいいと思いますね。

 

 知識と感覚を研ぎ澄ましても、思った通りの効果にならないことは沢山あるので、そういった状況の中で悩んだ結果として、ひらめくことがあると思うので、どちらかだけに頼るのは危険でもあると思います。

 

 鍼灸師同士で話をしていると、感覚派・知識派と分かれてくることもあるのですが、基本的には、どちらも追求した結果、どちらかに偏る方がいいのではないかと思います。

 

 自分の中でも、感覚派・知識派と分けて、客観的に見ていくようになると、自分のどこが問題なのかを考えていくことができるでしょうし、改善点も見つけやすいと思いますしね。

 

 私自身はどちらでもないのかなというのが結論ですが、感覚は研ぎ澄まそうとは思っていますし、経験によって変わってくるというのは実感していますが、知識は放置すると、どんどんと低下をしてしまうので、普段から知識を入れるように気を付けています。

 

 ただ、頭部には経穴が多いですし、場所も見つけにくいので、あまり使わなくなってしまっているので、だんだんと忘れていきますね。学生時代には、経穴は全て頭に入っていたはずなのですが、抜けおちているのも感じています。

 

 こうやってブログで書くことで知識を仕入れて、頭を整理するようにしているのですが、よく見てみたら、経穴の位置がずれていたのではないかと気づくことがあります。ずれていても結果として繋がっているのであれば、それは感覚で決めたということであり大切になってくるのですが、知識をもとに、ずれていたのを修正していくこともしています。

 

 治療のやり方や形に正解がないので、自分で作り上げていくしかないので、日々の積み重ねが将来の大きな財産になるのだと信じています。

 

 勉強をし始めたときや、臨床に出た時は、暗闇を歩いているように、どうしていいのか分からないことも多いですが、経験を積むことで、自分なりの方向性が見えてくるので、そこから周囲に広げていくことと、突き抜けていくことの両方が必要だと思いますね。

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