鍼灸や漢方、按摩をしているという話になると科学的ではないという意見が出てくることがありますが、科学という言葉の定義からすると誤りになるのではないでしょうか。
科学は、観察などによって得られた知識と経験の総称であり、実験の結果、分かってきたことをまとめたものになります。東洋医学は科学ではないという意見を持つ人の正確な意見としては、「東洋医学は現代科学技術によって説明されていないし、現代の用語を用いていない」ということではないでしょうか。
このような考え方が出てくる背景としては、「現代の科学技術が最高の物である」という定義のもとで考えているのではないかと思いますね。
科学技術はどんどんと進歩をしていくものなので、現代の科学技術は、将来は陳腐化して使い物にならなくなるでしょうし、現在の科学技術で証明された物は将来も、その結果が保証され続ける訳ではないという視点が抜けているような気がします。
こういった態度は、無知を否定して、既知で物事を考えるということに繋がってしまうので、積み重ねていくという科学的な思考が欠落しているのではないでしょうか。
東洋医学が成立した時代は、現代ではないので、現代では当たり前として使っている単語がない状態なので、独自の言葉になるのは当然ですね。現代のような身体に関する知識は、科学技術が発達することで、目えるようになって初めて作られてきているので、用語が違うのは当然ですね。
東洋医学では身体の状態を独自の概念で説明することで身体の状態を分類し、適切な治療を導きだすものになります。例えば、冷えがある人であれば、陰陽という言葉を使えば分類しやすいので、冷えは陰、熱は陽と考えを利用することで、冷えがある人は陰の状態だと表現することができます。
冷えでも、寒い環境にいたから寒いのか、冷え症なのかで違いがあるので、寒さが強く影響したのは実、体質的に冷え症になったのであれば虚と考えると、寒さによって冷えなのであれば陰証の実と考えることができ、体質的な冷えであれば陰証の虚と考えることができます。
これは現代医学で考えたときも当たり前に分類をしていくことなので、用語だけが違いますよね。では治療はどうするかというと、現代医学は原因が特定し、化学物質を用いて治療を行うのが多いので、化学物質が発見できない限りは養生してくださいということになってしまいます。
東洋医学では、日々の生活の中から利用できるものが中心なので、飲食に関係する漢方、体表から刺激できるツボ・経絡という概念からアプローチをしていきます。
東洋医学が科学的ではないという意見を持つ方は、現代科学技術で話がされていないという点のみでの話なので、結論としては数値がないから科学的ではないと言っているとも言えるのかもしれません。
実際に数値として結果をまとめて出していくのは難しいのではないかと思いますね。そうなると現代医学が用いている薬のように単体の構成成分で使用することしか、現代の科学技術では解明できないと思いますね。
全体から治療をするという東洋医学の概念が科学的数値を持って評価をされるのには、まだまだ時間がかかるのだろうなと思います。ただ、人の身体を数値化していくのは非常に難しいと思います。
例えば、数値で言えば健康な状態でも、日々の生活の中で、多少の好不調がありますが、これを数値化しようとするとかなり難しい部分がありますよね。もちろん、正確に数値化するのであれば、睡眠時間や睡眠の質ということで数値化していくこともできるですが、数値化したときに同じでも感覚としては好不調の違いも出ると思います。
この場合の違いは何かといったら、説明すること自体が難しいでしょうし、ましてや数値化するのであれば気分はどうかという感覚的な回答を数値化するしかないのではないですかね。東洋医学では数値として扱うのが目的ではなく、あくまで、感覚、症状、結果に重視をしているので、数値として評価をするのが難しいと思います。
もともと、成立した時代に数値がないので、現代科学技術で数値化しようとすると、出来るものもあれば、出来にくいものもあるし、出来ないものも出てくるのは当然でしょうね。
東洋医学は怪しいという点は否めないですけど、東洋医学が科学ではないという主張は迎合できないですね。確かに、東洋医学を使っている人たちは、若干、俗世間から離れてしまったような人もいるので、やっぱり見た目からも怪しいという点は否めないですね。
東洋医学が好きになったことによって、現代医学が嫌いになる人も出てきますが、それも極端ですね。現代医学の立場から治療を行っている人に取っては、非難される対象になるので、真剣にやっているので、面白くはないでしょうね。
東洋医学は五臓六腑の考え方を使っていくと、シンプルに治療を導きだすこともできますが、違う方向から治療を考えていくことが可能になります。最初に勉強し始めたときは、適当なのかなと思っていたのですが、一つの治療が完璧ではないということを示しているのかもしれないと最近は思うようになりました。
身体が気血津液という物によって、循環して成り立っているのだとすれば、どこかを刺激したら、他の場所にも影響があると考えるので、この点は東洋医学の思想で素晴らしいところだと思います。
例えば、現代医学の薬では、作用したいところにどう働きかけるのかを重視して研究をし、全身への波及についても調べていきますが、薬の歴史を考えていくと、投与してみてから、全身に影響がどうでるかを確認していくので、部分から見ていくのか全体から見ていくのかという視点の違いは確かにあるのかなと思います。
東洋医学でも臓腑・気血という部分への働きかけを中心に考えているので、現代医学と同様なのですが、全体を診るという視点があるのは大切なことだと思います。
東洋医学については「分からないけど利用できるものは利用する」という視点に立っていくと、生活や身体に取ってプラスになることは多いのではないかと思います。
「東洋医学は科学である」と考えることもできますが、私の結論は「東洋医学が科学であるかどうかは分からない」というスタンスですね。