東洋医学では生命は太極であり、陰陽によって成り立っていると考えるのですが、動静によって成り立っていると考えることもできます。
人が生きているということは生活をしているし、動いているのが当然なので、動きが当たり前と言えるでしょうけど、人の生命現象は動だけでは成り立たないので、静があることで動が存在できると言えます。
動いている物は動き続けているだけではなく、全体として見たときには停止をした状態でもあるので、動があったとしても静の状態になっています。
例えば、池は風がふかなければ動きがなく静の状態になっていると言えますが、温度は水に影響をするので、熱によって水に微細な動きが生じていますし、自然にある池であれば土から湧き出る分と土に染み込む分があるので、静の状態なのに動であると言えます。
人の生命を考えたときにも、動いていない状態でも身体の中は動いているので、静と動が共存して生命を成り立たせていることになります。
空を見上げてみても、何も動きを見ることが出来ないので、静という状態にしか見えないですが、見えない中でも大気は循環をしている動があるので、動は静と共存をしていることになります。
動や静というのは物事の一面しか見ていないことになるので、どんな物にでも動静が存在することになります。
動静がともに存在をしていることが、物の成立ちとしては大切なことになるので、何かが成り立っている状態は動静という2つが一つになっている状態になるので、東洋医学ではこれを「太極(たいきょく)」と呼びます。
太極だけでは理解しにくいので、東洋医学の用語では「気」という単語を使っていくことで物の成立ちや存在は「気」があることになります。
動静という表現では、身体の生理・病理を考えていくのに不便になるので、東洋医学では動静をさらに陰陽という言葉に置き換えていきます。動は陽、静は陰になるので、物の成立ちは陰陽が共存している状態になります。
動静でもある陰陽はお互いが欠けても存在することができないので、陰陽は相互に補完をし合いながら、一つの物として成り立っていきます。人の生命は動静つまり陰陽から成り立っているので、身体の正常・異常の状態に関して陰陽という言葉を使っていくことで考えていくことができます。
東洋医学で陰陽という言葉が多く出てくるのは、身体の状態や病能を把握していくのに、非常に便利になるので用いられているのです。
動静は陰陽に置き換えて表現していくことができますが、人の活動は全て動静で表していくことができるので、仕事にも動静があり、休みにも動静があることになりますね。
仕事の動静は、身体を動かすのが動、頭を使うのが静であり、休みの動静も考えていく必要があります。身体を動かしていない人が休日に身体を動かすのは、動を刺激することでいいのですが、度が過ぎてしまうと、動がもともと弱い状態なので、疲労が多く生じてしまいます。
物事は対立する物で出来ているという陰陽の考え方を使っていくと、身体に取って反対側を刺激していくといい状態に繋げていける可能性があります。もちろん、過ぎた物はよくないので、ほどほどに管理をしていくことが大切なので、日々の生活の中での動静を把握することは、個人としても治療家としても大切なことになるのではないでしょうか。