鍼灸治療は怪しいと思う人がいるでしょうが、何が怪しいのでしょうか。ずっと考えてみて、自分なりの結論が出たので考えを書いてみたいと思います。
鍼灸治療は現代医学をベースとして使われることがありますが、もともとは東洋医学の一つとして成立・発展してきたものです。古くから日本では鍼灸が使われていて、鍼灸に関する資格が文献として残っているのは701年に成立した大宝律令にまでさかのぼれるので、1300年以上の歴史があります。
これだけ歴史が長い歴史を持ち、現代医学的にも使われるのに怪しいというのは何故なのでしょうか。
怪しいと思うことを自分の中で考えてみたところ、「よく分からないこと」「知らないこと」が怪しいと思うことが多いのではないかと思いました。
例えば、「いい仕事があるよ」という話しを聞いたときに、「怪しくないか?」と一瞬思うことがありますし、知らない分野だと「本当か?」という疑いを持つことがあるので、「鍼灸が怪しい」というのは、「未知なる物」だからではないかと思いました。
鍼灸は現代医学をベースとして使っても、その作用については完全に解明をされている訳ではないので、やはり「未知」ですし、鍼を刺したら、身体がどのように変化をするのかイメージが出来ないからですよね。
日常体験として知っている「何かが刺さった」状態は痛くて仕方がないですし、傷口になって、痛い状態が続くので、よくなるというのがイメージしにくいですよね。
鍼灸を沢山経験してから学校に通っている人以外は、学校でお互いに刺す鍼は技術が稚拙なために痛いので、刺して改善するのは理解できないですね。鍼を扱うのが上手くなってくるとお互いに鍼をしてもらって治療をすることも出てきますが、これは「未知」な状態から「既知」の状態に変化していったという過程があります。
一般の方に取ってみれば、日々、鍼灸に触れるということはないので、人伝えの話しで、「鍼灸がいいらしいよ」という程度の情報なので、「未知」過ぎて分からないから怪しいと感じますね。
現代医学の治療は、どこに作用をするのかが呈示されていますが、本当は細かい薬理作用についてまで説明されていないですし、理解している人も少ないでしょうけど、信頼がありますね。これは、広く普及をして一般の人に馴染みが深いからだと思います。そう考えると、西洋医学の普及を目指した先人の努力が報われていますね。
動物は知らない物は生命に危害を及ぼす恐れがあるので、「怖い」という感情を持つのが正常なので、「未知」は「怖い」とも繋がるので、怪しい怖いと思うのは当たり前のことで正常だと思います。
歴史的に長く残っている物で、多くの人が試している物は、歴史が証明していることになるので、いい物だと考えることが出来るのですが、医療となると東洋医学以外にもいろいろあり過ぎてよく分からなくなりますね。
医療が扱うのは生命であり、生命自体は「未知」なことなので、「未知」に「未知」が重なってしまうと、意味不明になるのでしょうね。
現代医学も「未知」を扱っていることになりますが、広く普及をしていて、日常の中に入りこんでいるので、「怖い」という感情が少ないのだと思います。もちろん、手術などの話しが出てくると長期化するのではないか、今後どうなっていくのかという生命に対する「未知」が出てきて不安が生じることが多いので、そういった方がいろいろとネットで情報を探して、段々と知識を蓄え、鍼灸についても知ることが多いですね。
鍼灸で使っている東洋医学は食生活も関係をしているもので、本来は人とともにあるべきものなので普及をしていってもらいたいと思います。自分で自分の健康管理が出来るというのは、セルフメディケーションとも言われ、必要なことなので鍼灸だけではなく、東洋医学を知っておいた方がいいと思っています。
一般の方に取って「未知」を扱う鍼灸師は、患者さんの「未知」を取り除いてあげる先輩としての気持ちを持つことが大切なのではないかと思うようになりました。
治療の中で身体について教えてあげると同時に、東洋医学の考え方を多くの人に伝えていくことは大切なことだなと思います。
そう考えると、日々の治療は治療だけではなく、教育でもあり普及活動にもなるのだと思っています。