誰にでも出来る東洋医学の考え方

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 東洋医学の治療をしていくときに、中医学を使うのか、脈診を使うのかを悩むことがあるでしょうが、シンプルに考えていくだけでも治療をしていくことができます。

 例えば、身体の状態を考えていくときに、東洋医学では身体や生命は気から成り立っていると考えていくので、身体の問題は気の問題として考えていきます。ただ、気の問題だけにしてしまうと「気のせい」になってしまうので、身体の状態を把握したり、治療したりすることができなくなってしまいます。

 

 ここで、その人の体質を考えていき、身体が弱そうか強そうかを考えていくと、気の虚と気の実と病態を分けていくことができます。考え方としては非常にシンプルなので、治療に使っていくことができるので、まずは、虚実の鑑別が重要になっていきます。

 

 虚実の鑑別は正確には、気虚か気滞かという虚実を鑑別することがいいのですが、正確に分けるのが難しい場合は、何となく虚実を分けていけば、その時に自分がどう考えて治療をしたのかという視点ができるので、治療効果がなかった場合に、虚実の鑑別が間違っていたのではないかと考えるポイントができます。

 

 このポイントができるというのは、振り返ることができる場所になるので、治療の中においては非常に大切なことです。

 

 例えば、どこかに行こうとしたときに、曲がったところを覚えておけば、道に迷ったときに、どこで間違ったのかが分かりますし、時間をロスすることが少なくなります。治療も同じで全体の中で、分岐点となるポイントを意識しておくと、どこで修正をした方がいいのか考えるきっかけになります。

 

 気の虚実が鑑別できれば、治療をしていくことができるのですが、臓腑の働きや気血津液の状態を理解していないと、この先に進みにくいです。

 

 では、何を使っていくのがいいかと言えば、臓腑の概念を加えていきます。臓腑は気と血に関係するグループに分けていくことができるので、気のグループは肺と腎、血のグループは心と肝になります。

 

 脾がグループ分けに入っていませんが、脾は気血を生成する臓になるので、両方に関わると考えられます。臓腑を確定させることができなければ、脾を中心に治療を組み立てれば、気・血のどちらにも対応できる状態になるので、治療で大きな間違いを生じにくくなります。

 

 虚実が決定できない状態で脾を決定して治療をしていくこともできるのですが、その場合は、鑑別で何を分けたのかという分岐点で生じないことになるので、虚実を分けずに脾の治療をしていくというのであれば、身体の調整をしていくのが脾と考えていくことができます。

 

 この考え方は間違っている物ではなく、李東垣の『脾胃論』でも脾の働きを強めていくことが治療に取って大切という考え方があるので、古典にのっとった治療とも言えます。

 

 例えば、失敗したときに「不注意だった」というのは正しいですし、本質をついているかもしれないです。

 

失敗したときに「机の端に置いて置いたので、机にぶつかった振動で落ちてしまった」、だから「机の端に置かないようにして、ぶつからないように注意をする」であれば、細かい点が出てくるので、やるべきことがはっきりすると思います。

 

 治療の考え方も同様に、全体として考えることと、詳細を考えることが大切なので、例えば「脾で治療をする」というのは「不注意だった」と同じと言えます。治療での詳細は、何故、そのツボを使ったのか、どんな道具を使ったのか、どれぐらい刺激をしたのかをしっかりと覚えておけば、変化を加えていくことができます。

 

 東洋医学の治療は難しく考えようとすれば難しく考えていくことができますが、いきなり難しいことをしていくのは難しいので、まずはシンプルに治療を組み立ててみて、そこから少しずつ反省と変化を加えていく方がいいと思いますよ。

 

 シンプルに治療を組み立てていくのであれば、例えば、治療は脾を使って、治療で使うツボや刺激量は同じという定義で治療をしていくのもシンプルですし、今後に生かしていくことができます。

 

 同じパターンの治療をしていくと、変化が出てくる場合と変化が出てこない場合があるので、治療を続けていくことによって、変化が出てくる場合と変化が出ない場合が読めるようになっていきます。

 

 これは同じパターンで治療をしたことで見えてくるものなので、変化をつけずに続けることが大切になっていきます。

 

 治療は絶対的な正解がないので、正解に近づいていく作業になるので、日々の治療の中で、ポイントとなるものを決めて、意識をして考えていくことが大切だと思います。

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