東洋医学の治療では未病という病気になる前からの治療が大切と言われているので、未病は養生思想・健康観とも関係をしてきます。
未病と已病に対する考え方、養生思想に対する考え方とともに、古典文献も後半で見てみたいと思います。
1.未病と現代の日本
未病は東洋医学の思想なのですが、養生思想・健康観の考え方とも言えるので、健康に対する考え方の中では大切になります。特に、日本は高齢人口が増えてくる状態になるので、出来るだけ健康でないと、介護などの社会保障費が増大してしまうことになるので、未病は重要な課題といえるのではないでしょうか。
未病についての定義は、健康・医療戦略(平成27年7月22日閣議決定)の中でも見られます。
健康と病気を「二律背反」の概念で捉えるのではなく、心身の状態は健康と病気の間を連続的に変化するものとして捉え、この全ての変化の過程を表す概念が未病である。また、治未病とはこの一連の変化の過程において、特定の疾患の予防・治療に止まらず、体全体をより健康な状態に近づけることを治未病(未病を治す)という。
一般的には、何かの病気になったから健康ではないという表現になりますが、健康も病気も一人の人間の身体の中で生じているものなので、健康な人でも病気の方に身体が傾くことがあるという、流れの中で人は生きているという考え方になるのでしょうね。
未病と近い言葉には「予防」がありますが、「予防」は具体的な物に対して用いていくので、未病のような広い概念とは違うことになります。
例えば、「寝たきり予防」ということでは、寝たきりになりやすい原因の筋力低下、骨折、病気があるので、それぞれに対して個別に予防策を考えていくことになります。未病の概念では、身体の持っている機能を高め、低下させないようにすることで、筋力低下・骨折・病気に対する力を付けて、最終的に寝たきり予防にするという考え方になるのではないかと思います。
2、東洋医学で考える未病
東洋医学では気血津液が流れている状態が正常になるので、気血津液の運行に障害が発生すると病気になるという考え方をしているので、病気になる前から治療をしていくことで、気血津液の運行をスムーズにして身体の状態を維持していこうという考え方になります。
生まれたてや高齢になると気血津液は不足をしている状態ですが、それでも気血津液の巡りをその人が出来る最適な状況にしていくことで、急激な低下を抑えると考えていきます。
人間の身体は一つの器のような物で、気に問題が生じてしまえば、血や津液にも影響が及ぶという伝変と波及という考え方があります。気血津液は臓腑とも関係しているので、気血津液に異常が生じるというのは臓腑に異常が生じることにもなります。
風は強く吹いたり、弱く吹いたりしていますが、身体の気血津液も完全な一定ではなく、強弱があるので、一定に整えたり、気血津液が一定ではなくても、身体に障害が発生しないようにするのが未病という考え方になります。
こうやって考えていくと、未病には養生の概念に近くなるので、未病は養生の思想と関係をしていると言えますね。
3、已病
已病は病である状態と言えるので症状が発生をしていれば已病の状態として考えていくことになります。通常は、医療に罹ろうとするのは已病の段階なので、未病の状態で治療を受けようとするのも少ないですよね。
治療に携わるのであれば已病に携わることになるので、病気を知って治療をしていくことが大切なので、東洋医学の古典文献もどういった症状があったら、この漢方・経穴を使うという話しなので、已病も大切にしていることが分かります。
4.未病と已病の古典
東洋医学では已病も大切にしているという話しを書きましたが、根本の考え方からすると、気血津液が循環しているのが正常で普段から整えていくことが重要になるので、未病が一番重要なのだということが様々なところで書かれています。
『金匱要略』、臓腑経絡先後病脈証第一
問曰、上工治未病、何也
師曰、夫治未病者、見肝之病、知肝傳脾、
當先實脾
四季脾王不受邪、即勿補之、中工不曉相傳、
見肝之病
不解實脾、惟治肝也
『金匱要略』では、「上工は未病を行うのはどういうことか?」という質問に対しての回答になるのですが、肝の病は脾に伝わっていくので、まずは脾を実する治療が大切だという話しがあり、中工は脾に伝わるということがはっきりと分かっていないので肝の治療しかしないという話しがあります。
ここでの上工は素晴らしい医者という意味で使っているのでしょうが、知識がしっかりあって、使えることが大切だという話しとも言えるかもしれないですね。
『素問』四気調神大論
是故聖人不治已病、治未病
不治已乱、治未乱、此之謂也
四気調神大論は名前の通り、四季(四気)に神(精神・心)を整えるということで、聖人はどういったことに心がけるかという話しになっています。ここでの未病・已病については、生活をしっかりと整えることで未病の状態にすることが大切だという話しになります。
『素問』八正神明論
上工救其萌牙、必先見三部九候之気、
盡調不敗而救之、故曰上工
下工救其已成、救其已敗、救其已成者
言不知三部九候之相失、因病而敗之也
八正神明論は治療していくのに大切なことは何かということで、自然や季節、臓腑の状態をしっかりと把握し、補瀉を行っていくことが大切という話しになるのですが、身体にどのような影響が与えられているかは、三部九候の気を診ていくことで身体の状態が分かるという話しになっています。
比較脈診である三部九候は脈診法の一つと言われていて、頭・手・足の三か所から3つの場所を比較する方法と言われています。
上工(素晴らしい医者)は三部九候を行っていくことによって、身体の状態をしっかりと把握しているので、身体の微細な変化が分かるので早めに対処をすることができ、下工(よくない医者)は病になってから治療をしようとするが、これは三部九候と身体のことを知らないからという話しになっています。
『素問』刺熱論
肝熱病者、左頬先赤
心熱病者、顏先赤
脾熱病者、鼻先赤
肺熱病者、右頬先赤
腎熱病者、頤先赤
病雖未發、見赤色者刺之、名曰治未病
刺熱では、臓腑に生じた熱によって生じる症状や、身体に存在する熱をどこで治療するかについて書かれていて、熱や熱によって生じる症状が出ていなくても、顔面で関連する部位に赤さが生じているようであれば、治療をするのが未病であると書かれています。
『難経』七十七難
上工治未病、中工治已病者、何謂也
然
所謂治未病者、見肝之病、則知肝當傳之與脾
故先實其脾気、無令得受肝之
故曰治未病焉
中工治已病者、見肝之病、不暁相傳、但一心治肝
故曰治已病也
七十七難にも上工、中工という話しの中で未病についての記載があるのですが、『金匱要略』の内容と同じような感じですね。
こうやってみていくと、四気調神大論の内容では養生に近い用語として未病が使われていますが、その他の部分では、病が発生・悪化をする前に予見をしていくのが未病と表現していることが分かります。
病気にならないようにすることは大切ですし、病気になりそうな前兆を知ることも大切なので、どちらも重要なことなので書かれているのでしょうね。
5.現代の未病と已病
鍼灸に限らず、医療に罹ろうとするときには、已病の段階で行くことになるので、通常の治療の中では、已病の対処をしていき、已病がよくなってきたので、未病の治療が中心になっていくことが多いのではないでしょうか。
例えば、肩凝りが酷くて来院していたけど、お腹が弱いことが影響していたのであれば、肩凝りがよくなってもお腹の調子が悪くて治療を継続し、お腹が整ってきたから、日々の疲れを取りに来院するというような流れが多いと思います。
自分の身体のことを考えたときにも、歯医者などは定期的に行くのが大切だと分かっていても、結局、痛み、欠けなどが生じて行くことが多いですし、未病の治療は理想だけど、なかなか難しいですよね。
本当に身体を悪くした方、もともと身体が弱い方は、未病の重要性が理解しやすいですが、そうでない人に取っては知ってはいるけど、心底は理解できないことでしょうしね。
そう考えていくと、已病をしっかりと対処し、説明をしていくことで未病のことや身体のことを理解してもらって、未病ばかりの治療院になっていくのが理想的なのかもしれないですね。