肝の病証を見ていくと良く出てくるのが疏泄の太過と不及という単語になります。疏泄の太過はイライラしやすく怒りっぽくなり、疏泄の不及は気持ちが落ち込むことになります。
肝の疏泄は、全身の気機を調節すると言われていて、生理物質の推動に関与をしていると言われているので、肝の働きが失調し、気滞が発生すると、血瘀が発生してしまうことになります。
疏泄が失調すると、気機がうっ滞してしまうために、気滞となり、気滞は気の停滞なので実証に属することになります。と言うのが教科書上になるのですが、疑問も生じたので少しまとめてみたいと思います。
1.疏泄の働き
疏泄の意味は、「ふさがっている物を通してもらす」という意味があるので、脾胃との関係が密接だったようですが、生理機能としてまとめられるにつれ、全身の気機を流して調節するという意味で気機と表現されるようになっています。
東洋医学では、身体の機能は気の循環によって成り立っているので、肝の疏泄は身体の機能においては重要な働きを持ちます。
精神を栄養滋養していくのは血の働きになるのですが、精神から発生する感情を調節するのは気の働きであり、肝の疏泄によって調節されているので、精神的なストレスは肝の働きを障害すると言われています。
こういった考え方のベースとなるのは、肝は木であり、曲直という性質があるので、草木の成長のように、隅々、広大に広がっていく性質が大本にあるのだと思います。そのため、疏泄の働きが正常で、隅々まで循環をしていることで、全身の気機が調節され、問題なく機能をすることになります。
疏泄については、名前の由来を含めて過去のブログで書いていて、肝の働きについても書いてあるので参考にしてみてください。
「肝の働き」
「疏泄の意味」
2.疏泄の太過
疏泄の太過はイライラしやすく怒りっぽくなったりするということですが、感情調節が活発になり、次々と感情が湧きだしてしまう状態とも言えるので、精神が興奮している状態と考えていくことができます。
感情が湧き出てきやすく、処理が追いつかないような感じでしょうか。心をおだやかに生活できればいいのでしょうけど、ストレスという刺激によっていろいろな感情が湧き出ては抑えていくのが続く状態なので、躁の状態に近いのではないかと思います。
疏泄が強くなり過ぎると、気の動きが早くなり、早すぎるが故に身体の中で停滞をしてしまって上手く処理できない状態と言えるかもしれないですね。
弁証としては肝鬱気滞というよりも肝鬱気滞が熱化をしてしまった肝火や気逆が生じている状態に近いと思います。気逆は気機の働きが正常でなくなる病能で、肝火と関係をしやすいので、疏泄の太過は肝火と関係しているという方が正確かもしれないですね。
3.疏泄の不及
疏泄の不及は気持ちが落ち込むことになりますが、感情が湧き出てきている状態でも調節して表に出すという処理をしなくなるので、感情が表に出てこなくなる状態なので、抑うつ感が生じてきます。
疏泄の不及ということは、疏泄が上手くできていない状況になるのですが、本質的な状態としては虚実もあるのではないかと考えられます。疏泄の力が不足をして流れが悪いのであれば虚によって気滞が生じたと考えていくことができますし、疏泄が上手く発現することができないだけであれば実として考え、気滞が生じていると考えることができます。
結果的には気が阻滞をしているという状況なので、気滞自体は実になるので、本態的な状況に限らず実証と考えることもできるのですが、気滞の虚を考えてみるのも治療としては面白そうですね。
弁証としては肝欝気滞になるので、疏泄の不及から気滞になって、疏泄の動きが活発になって、疏泄の太過に移行することもありそうですね。
4.気滞の発生する原因
気滞が発生する原因は疏泄になるのですが、血の巡りが悪くなれば、営気の巡りも悪くなりやすいですし、痰湿が阻滞していれば、気も影響を受けてしまうので、どのような原因からでも気滞が発生すると考えていくことができるのですが、こうやって考えていくと、同じ用語なのに、違う病態が存在してしまうことになるので、中医学では気滞は疏泄の問題によって生じると考えます。
局所的には気血の循環が悪くなると、気血の阻滞が発生するので、局所の状態は気滞血瘀が生じていると考えることができ、状態としては不通則痛・不栄則痛と呼ばれることが多いですね。
5.まとめ
気滞は肝の疏泄が失調してしまったときに発生することが多いものですが、局所的な話しとしても使用されることがあるので、全身の話しなのか局所の話しなのかを考えながら読んだりしないと意味が分からなくなってしまうことがあると思います。
局所で気滞が生じていると考えるのであれば、気滞を取り除く疏通経絡が非常に大切になってきます。疏通経絡に関しては過去のブログでも書いているので参考にしてみて下さい。