現代語訳傷寒論1―弁脈法

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 傷寒論は東洋医学の重要な経典と言われますが、原文からしっかり読んだことがありますか?私は、学生時代にパラパラとめくったのと、漢方を調べているときに、該当する部分を読んだぐらいしかないので、ちょっと読んでみました。漢文のエキスパートではないので、現代語訳では間違いもあるでしょうが、何となく読んでみたい人に参考になるのであればと思い、ブログにアップしておきます。

 現代語訳では、一つの意味をどうとらえていくのか考えていくと非常に時間がかかるので、そのときにパッと浮かんだ言葉や用語で置き換えています。

 

 

 脈に陰陽があるのはどういうことでしょうか?

 

 脈のうちで、大、浮、数、動、滑は陽になります。脈のうちで、沈、濇、弱、弦、微は陰になります。陰の病で、陽の脈があるものは生きることができ、陽の病で陰の脈があるものは死んでしまいます。

 

 脈で陽結、陰結というのはどういうことでしょうか?

 

 脈が、浮いて数の者は、よくたべて便秘のものは実で、陽結になります。これは、十七日すると病が酷くなります。脈が沈で遅の者は、食べることができず、身体が重くなり、便秘のものは陰結といいます。この場合は、十四日すると病が酷くなります。

 

 病で、水にぬれたような悪寒がして、発熱する者がいますが、どういうことでしょうか?

 

 陰脈が不足すると、陰が不足しているところに、陽気が陰へいきます。陽脈が不足すると、陰気が陽の中に入り込んでいきます。

 

 陽の不足とはどういうことでしょうか?

 

 例えば、寸口脈が微であるものを陽気不足といい、陰気が上にいくことで陽の中に入りので、ぞくぞくとした寒気が生じます。

 

 陰の不足とはどういうことでしょうか?

 

 尺脈が弱いものを陰気不足といい、陽気が下に落ちていき、陰の中にはいるので、発熱をします。

 

 陽脈が浮いて、陰脈が弱い人は、血虚であり、血虚だと筋肉が痙攣してしまうことになります。

 

 脈が沈んでいる人は、営気が弱くなっています。その脈に浮で、汗が滝のように出る人は、衛気が弱くなってしまっています。営気が、弱い人には火鍼を加えると於、血の流れが滞ってしまい、さらに発熱して、苦しんでしまいます。

 

 脈がこんもりとして、車のおおいのようになっているのを陽結といいます。脈が積み重なって、長い竿のようになっているのを陰結といいます。

 

 脈がふわふわとしたように感じるのは陽気が弱く、脈の流れがありクモの糸のように吸い付くものは陽気の衰えになります。

 

 脈がしっかりと続いているようで、漆(水)を垂らしたときのようにスッと流れるのは、血を失っていることになります。

 

 脈の流れが緩やかで、時々止まり、また脈が感じられるものは、結といいます。脈の流れが速く、時々止まるのは、促といいます。脈の陽が盛んな場合は促になり、陰が盛んになると結になります。これらは病の脈になります。

 

 陰と陽が互いにぶつかったようなものを動といい、陽が動くと汗が出て、陰が動くと発熱し、身体に悪寒を感じる場合は三焦が傷ついています。もし、関上に数(速くなった脈)があり、上下に頭と尾っぽがなく、豆の大きさで、ドンドンと動くように揺れるのは、動といいます。

 

 陽脈が浮いて大きく濡れたようで、陰脈が浮いて大きく濡れたようで、陰と陽の脈が同じようなものは、緩といいます。

 

 脈が浮いて緊張したようなものを弦といいます。弦は、弓の弦を触れるようなもので、触れても移動しないです。脈が緊のものは、索を転がしたようなもので動きます。

 

 脈が弦で大は、弦は陽気の減少している状態なので寒さが生じ、大は芤のような状態になるので、葱のように中が空洞の状態になり、冷えと虚が互いに影響しあったものが革といいます。婦人は流産や不正性器出血を生じ、男子は貧血や精が漏れてしまいます。

 

 症状としてふるえが生じて汗が出て、よくなることがありますがどういうことでしょうか?

 

 脈が浮と緊で、触れていった感じが芤のようであれば、その人の本質は虚であり、ふるえて汗が出ます。その人は虚であるので、ふるえが生じ、脈が浮き、汗が出ることで病がよくなります。もし、浮で数があり、芤のようであれば、その人の本質は虚ではないので、もしよくなるのであれば、汗が出るだけで、ふるえは生じません。

 

 症状としてふるえが出ずに、汗が出てよくなるのはどういうことでしょうか?

 

 脈が大で浮数は、ふるえが出ずに汗が出てよくなります。

 

 症状としてふるえが出ずに、汗が出なくてもよくなるのはどういうことでしょうか?

 

 脈が微では、以前に発汗、嘔吐、下利や貧血があり、内に津液がない状態になるが、陰陽が調和していけば、自然によくなります。だからふるえも発汗もなくよくなります。

 

 傷寒の3日目で、脈が浮数で微のときは、病人の身体がさっぱりとしてようなのはどういうことでしょうか?

 

 これはよくなろうとしている状態で夜中によくなります。脈が浮でよくなる人は、汗をかいてよくなります。脈が数でよくなる人は、必ずよく食べます。脈が微でよくなる人は、必ず大汗をかきます。

 

 脈によってよくなるのかよくならないのかは何によって鑑別するのでしょうか?

 

 寸関尺の三ケ所で、脈の大小浮沈遲数が同じであれば、惡寒や発熱があるといっても必ずよくなります。この脈は、陰陽が正常な状態なので、病が激しかったとしてもよくなります。

 

 病がいつ生じたかによって、いつ治るのかはわかるのでしょうか?

 

 たとえば、夜に病が生じた人は、次の日の昼間によくなります。昼間に病が生じた人は、夜になるとよくなります。何故かというと、昼間に病になり、夜によくなる人は、陽を得るので陰によってよくなります。夜に病になり、昼間によくなる人は、陰を得るので陽によってよくなります。

 

 寸口脈が浮は表であり、沈は裏、数は腑、遲は臓になります。例えば、脈が遅のときは、これは病が臓にあります。

 

 趺陽脈(衝陽付近の拍動)が浮で濇で、少陰脈(太渓付近の拍動)が正常な人は、病が脾にあり、下利をすることになります。何によって知るかと言えば、脈が浮で大の人は、気が実して、血虚です。趺陽脈が浮で濇は、脾気の不足を知ることができ、胃の気虚になります。少陰脈が弦で、浮がわずかにある場合は、調脈といい、正常になります。もし、滑で数がある場合は、尿に膿が出ます。

 

 寸口脈が浮で緊のときは、浮は風があるということで、緊は寒があるということです。風は衛気を傷つけ、寒は営気を傷つけます。営衛がとみに病になると、骨の節々に煩わしくうずくような痛みが生じるので、発汗させることでよくなります。

 

 趺陽脈が遅で緩の場合は、胃気が正常になります。趺陽脈が浮で数の場合は、浮は胃を傷つけ、数は脾が動じていることになり、これは本当の病ではなく、医師がした治療によってなります。営衛が内にこもってしまうことで、数が微になり、脈がかえって浮いていることになり、大便はかたくなり、気を上下に動かすことで除くことができます。

 

 本来、数脈は脾を動じていて、数はまず微になることで脾気はよくならないです。だから、大便がかたくなり、気を上下に動かすことで治療します。脈が浮でなければ、数は微になり、邪気がとどまり、心の中にいくことで飢え、邪熱によって消化することができず、潮熱がでて渇きが生じます。数脈が遲緩の脈になり、正常な脈数になると、病人は飢えを生じるようになり、数脈がよくならない人は、治りにくい瘡が生じます。

 

 師がいうには、病人の脈が微で濇の場合は、医師の誤治によって生じたものになります。汗を大量にかかせ、度々、嘔吐と下利をしたことによって、血を失ってしまったことになります。この病は悪寒がしてから発熱する。夏の暑い時期には、服を何枚も重ねたがる。冬の寒い時期には、服を脱ぎたがる。これは陽が微になったことにより惡寒がし、陰が弱いことで発熱をしていて、医師が汗を出させてしまったことで、陽気を弱くしてしまったことにより生じます。または大きく下させてしまったことにより、陰気が弱くなってしまうこともあります。

 

五月のときは、陽気は表にあり、胃の中は虚冷になるので、陽気は内側では少なく、冷えに勝つことができないので、服を着たがることになります。十一月のときは、陽気は裏にあり、胃の中は熱で煩わしくなっているので、陰気が内で弱くなり、熱に勝つことができなくなるので、熱くて服を脱ぎたくなってしまう。また、陰脈に遅濇があるときには、血が失われていることが分かります。

 

脈が浮で大で、心下に硬さがあるのは、熱が臓にあることになり、これを治療するときには発汗をさせないようにします。腑に属するときには、小便をださせすぎないようにします。小便が多くなると便が硬くなり、汗が多くなると熱が取れ、汗が少ないと便が硬くなります。脈が遲ならば治療で攻めることはできません。

 

 脈が浮で洪のときは、汗が油のようであり、喘いで休めず、水や重湯も食べられず、身体に力がなく、静かになったり騒いだりする。これは、命が絶えてしまう状態です。また、どの臓から始まったのかはわかりませんが、もし汗が出て髪が潤っていて、喘いで休めないときは、肺がだめになってしまっています。陽とどまり、身体が煙でいぶされたような状態で、一点を見つめて頭が揺れるときは、心がだめになってしまっています。唇が反って青くなっていて、四肢に汗が出るときは、肝がだめになってしまっています。口に周りが黒く、汗が少し出ていて黄色いときは、脾がだめになってしまっています。小便が漏れてでてしまい、狂言があり、目がつりあがり直視しているときは、腎がだめになってしまっています。

 

 どの臓の陰陽がだめになるのかは分かりませんが、もし、陽気が先にだめになるのであれば、陰気が後にだめになってしまって亡くなってしまうと、身体の色は必ず青になります。陰気が先にだめになり、陽気が後にだめになってしまって亡くなってしまうと、身体の色は必ず赤くなります。脇の下が温かければ心下の熱です。寸口脈が浮大であれば、医師が下し過ぎてしまったためです。これは大きな誤りであり、浮は血がないことを示し、大は寒であることを示しめす。寒と気がぶつかり合えば、腸鳴することになります。医師がそのことを知らないと、かえって冷たい水を飲ませることになり、汗を多く出させることになります。水は寒気であり、寒気がさらに身体を障害することにより、その人は食べることも難しくなります。

 

 趺陽脈が浮のときは、浮は虚の状態を示し、浮と虚が互いにあることから、気の巡りが悪くなり食べることが難しくなります。これは胃気が非常に弱くなってしまった状態だからです。脈が滑だとしゃっくりが生じますが、これは医師の誤治であり、虚を責め実を取ったからであり、空っぽの状態をそのままにして血の治療をしたためです。脈が浮だと鼻の中が乾燥し、鼻血が出ます。

 

 いろいろな脈で浮と数があるときは、発熱して、悪寒がある状態であり、痛みがあり、飲食が正常に保たれているとときは、膿が蓄積しています。

 

 脈が浮で遅は、顔が赤くなり、身体がふるえている人は、6~7日すれば汗がでてよくなります。発熱をする場合は、よくなるのが遅くなる。遅くなるのは、陽がないためで、汗をだすのが難しくなり、身体に痒みが生じます。

 

 寸口脈の陰陽がともに緊の場合は、清邪は上焦にあり、濁邪は下焦にある。清邪が上焦にあるのは、潔といいます。濁邪が下にあるのを渾と言います。陰に邪が影響すれば、内ではふるえが生じ、表の気が弱くなり、裏の気が守れなくなるので、邪は陰を障害します。陽に邪が影響すれば、必ず、発熱、頭痛、項強、頚攣、腰痛、脛のだるさが生じますが、これは陽に霧露の気が影響した状態とも言えるので、清邪は上に影響します。濁邪が下にあると、陰気は、陰気はふるえを生じ、足膝が寒くなり、大小便が漏れます。表の気が弱く、裏の気が強いようだと、三焦が通じなくなるために、内外の流れが悪くなり、上焦の気が停滞することで、臓気は互いに問題を生じ、口がただれ食べられなくなります。中焦の働きがだめになってしまえば、胃気は上に昇り、脾が消化吸収できなくなり、胃は濁が多くなり、営衛が通じなくなってしまい、血の流れが停滞し流れなくなってしまいます。

 

衛気だけが働いている人は、小便が黄色くなり、熱が伝達することで、経絡に侵入し臓腑まで影響することで、熱が体内をめぐってしまい、化膿しやすくなってしまいます。陰気だけが働いている人は、陽気が非常に弱くなるために、陰気は外邪が侵入しないように抵抗することになり、くしゃみをして外邪を出そうとします。声がむせび、喉につまりが生じます。

 

 外邪の寒と弱くなった陽気がせめぎあい、熱にさえぎられてしまうことで豚の肝臓のように、血はかたまり下ってしまうことになります。陰陽がともに弱ければ、脾気が単独で弱くなり、五液が下にくだります。下焦が閉じられないので、大小便は下に降りることになり、大小便が出やすくなり治りにくいです。臍に痛みが生じている場合は、命を救うのが難しくなります。

 

 脈の陰陽がともに緊の人は、口の中に気が出ることで、唇や口が乾燥し、身体を丸めて横たわり手足が冷たくり、鼻水がでて、舌上にぬめりがあるので、妄りに治療をしない。7日を過ぎて、その人がわずかに発熱死、手足が多多貯まれば、よくなろうとしています。8日後に発熱が強くなるようと、これは治りにくいです。悪寒する人は吐きたがり、腹痛がある人は下痢することになります。

 

 脈の陰陽がともに緊で、しばらくすると吐き、緊脈がのこっているときは、緊が消えると病がよくなります。もし、脈が遅になり、6~7日後に食べたくなくなるのであれば、その夜に夜に吐くのは、水の停滞によって生じており、まだよくなっていない証拠です。食べることが出来る人は、治ります。病になって6~7日して手足三部の脈がそろってくると、胸がもだえるようになり、話すことができなくなり、それで騒ぐようになった人は、よくなります。

 

 脈が浮で数は、浮は風であり、数は虚になる。風は熱であり、虚は寒になる。風と虚が合わされば、水にあたったように寒気がします。

 

 脈が浮で滑は、浮は陽であり、滑は実に

 傷寒論は東洋医学の重要な経典と言われますが、原文からしっかり読んだことがありますか?私は、学生時代にパラパラとめくったのと、漢方を調べているときに、該当する部分を読んだぐらいしかないので、ちょっと読んでみました。漢文のエキスパートではないので、現代語訳では間違いもあるでしょうが、何となく読んでみたい人に参考になるのであればと思い、ブログにアップしておきます。

 

 現代語訳では、一つの意味をどうとらえていくのか考えていくと非常に時間がかかるので、そのときにパッと浮かんだ言葉や用語で置き換えています。

 

 

 脈に陰陽があるのはどういうことでしょうか?

 

 脈のうちで、大、浮、数、動、滑は陽になります。脈のうちで、沈、濇、弱、弦、微は陰になります。陰の病で、陽の脈があるものは生きることができ、陽の病で陰の脈があるものは死んでしまいます。

 

 脈で陽結、陰結というのはどういうことでしょうか?

 

 脈が、浮いて数の者は、よくたべて便秘のものは実で、陽結になります。これは、十七日すると病が酷くなります。脈が沈で遅の者は、食べることができず、身体が重くなり、便秘のものは陰結といいます。この場合は、十四日すると病が酷くなります。

 

 病で、水にぬれたような悪寒がして、発熱する者がいますが、どういうことでしょうか?

 

 陰脈が不足すると、陰が不足しているところに、陽気が陰へいきます。陽脈が不足すると、陰気が陽の中に入り込んでいきます。

 

 陽の不足とはどういうことでしょうか?

 

 例えば、寸口脈が微であるものを陽気不足といい、陰気が上にいくことで陽の中に入りので、ぞくぞくとした寒気が生じます。

 

 陰の不足とはどういうことでしょうか?

 

 尺脈が弱いものを陰気不足といい、陽気が下に落ちていき、陰の中にはいるので、発熱をします。

 

 陽脈が浮いて、陰脈が弱い人は、血虚であり、血虚だと筋肉が痙攣してしまうことになります。

 

 脈が沈んでいる人は、営気が弱くなっています。その脈に浮で、汗が滝のように出る人は、衛気が弱くなってしまっています。営気が、弱い人には火鍼を加えると於、血の流れが滞ってしまい、さらに発熱して、苦しんでしまいます。

 

 脈がこんもりとして、車のおおいのようになっているのを陽結といいます。脈が積み重なって、長い竿のようになっているのを陰結といいます。

 

 脈がふわふわとしたように感じるのは陽気が弱く、脈の流れがありクモの糸のように吸い付くものは陽気の衰えになります。

 

 脈がしっかりと続いているようで、漆(水)を垂らしたときのようにスッと流れるのは、血を失っていることになります。

 

 脈の流れが緩やかで、時々止まり、また脈が感じられるものは、結といいます。脈の流れが速く、時々止まるのは、促といいます。脈の陽が盛んな場合は促になり、陰が盛んになると結になります。これらは病の脈になります。

 

 陰と陽が互いにぶつかったようなものを動といい、陽が動くと汗が出て、陰が動くと発熱し、身体に悪寒を感じる場合は三焦が傷ついています。もし、関上に数(速くなった脈)があり、上下に頭と尾っぽがなく、豆の大きさで、ドンドンと動くように揺れるのは、動といいます。

 

 陽脈が浮いて大きく濡れたようで、陰脈が浮いて大きく濡れたようで、陰と陽の脈が同じようなものは、緩といいます。

 

 脈が浮いて緊張したようなものを弦といいます。弦は、弓の弦を触れるようなもので、触れても移動しないです。脈が緊のものは、索を転がしたようなもので動きます。

 

 脈が弦で大は、弦は陽気の減少している状態なので寒さが生じ、大は芤のような状態になるので、葱のように中が空洞の状態になり、冷えと虚が互いに影響しあったものが革といいます。婦人は流産や不正性器出血を生じ、男子は貧血や精が漏れてしまいます。

 

 症状としてふるえが生じて汗が出て、よくなることがありますがどういうことでしょうか?

 

 脈が浮と緊で、触れていった感じが芤のようであれば、その人の本質は虚であり、ふるえて汗が出ます。その人は虚であるので、ふるえが生じ、脈が浮き、汗が出ることで病がよくなります。もし、浮で数があり、芤のようであれば、その人の本質は虚ではないので、もしよくなるのであれば、汗が出るだけで、ふるえは生じません。

 

 症状としてふるえが出ずに、汗が出てよくなるのはどういうことでしょうか?

 

 脈が大で浮数は、ふるえが出ずに汗が出てよくなります。

 

 症状としてふるえが出ずに、汗が出なくてもよくなるのはどういうことでしょうか?

 

 脈が微では、以前に発汗、嘔吐、下利や貧血があり、内に津液がない状態になるが、陰陽が調和していけば、自然によくなります。だからふるえも発汗もなくよくなります。

 

 傷寒の3日目で、脈が浮数で微のときは、病人の身体がさっぱりとしてようなのはどういうことでしょうか?

 

 これはよくなろうとしている状態で夜中によくなります。脈が浮でよくなる人は、汗をかいてよくなります。脈が数でよくなる人は、必ずよく食べます。脈が微でよくなる人は、必ず大汗をかきます。

 

 脈によってよくなるのかよくならないのかは何によって鑑別するのでしょうか?

 

 寸関尺の三ケ所で、脈の大小浮沈遲数が同じであれば、惡寒や発熱があるといっても必ずよくなります。この脈は、陰陽が正常な状態なので、病が激しかったとしてもよくなります。

 

 病がいつ生じたかによって、いつ治るのかはわかるのでしょうか?

 

 たとえば、夜に病が生じた人は、次の日の昼間によくなります。昼間に病が生じた人は、夜になるとよくなります。何故かというと、昼間に病になり、夜によくなる人は、陽を得るので陰によってよくなります。夜に病になり、昼間によくなる人は、陰を得るので陽によってよくなります。

 

 寸口脈が浮は表であり、沈は裏、数は腑、遲は臓になります。例えば、脈が遅のときは、これは病が臓にあります。

 

 趺陽脈(衝陽付近の拍動)が浮で濇で、少陰脈(太渓付近の拍動)が正常な人は、病が脾にあり、下利をすることになります。何によって知るかと言えば、脈が浮で大の人は、気が実して、血虚です。趺陽脈が浮で濇は、脾気の不足を知ることができ、胃の気虚になります。少陰脈が弦で、浮がわずかにある場合は、調脈といい、正常になります。もし、滑で数がある場合は、尿に膿が出ます。

 

 寸口脈が浮で緊のときは、浮は風があるということで、緊は寒があるということです。風は衛気を傷つけ、寒は営気を傷つけます。営衛がとみに病になると、骨の節々に煩わしくうずくような痛みが生じるので、発汗させることでよくなります。

 

 趺陽脈が遅で緩の場合は、胃気が正常になります。趺陽脈が浮で数の場合は、浮は胃を傷つけ、数は脾が動じていることになり、これは本当の病ではなく、医師がした治療によってなります。営衛が内にこもってしまうことで、数が微になり、脈がかえって浮いていることになり、大便はかたくなり、気を上下に動かすことで除くことができます。

 

 本来、数脈は脾を動じていて、数はまず微になることで脾気はよくならないです。だから、大便がかたくなり、気を上下に動かすことで治療します。脈が浮でなければ、数は微になり、邪気がとどまり、心の中にいくことで飢え、邪熱によって消化することができず、潮熱がでて渇きが生じます。数脈が遲緩の脈になり、正常な脈数になると、病人は飢えを生じるようになり、数脈がよくならない人は、治りにくい瘡が生じます。

 

 師がいうには、病人の脈が微で濇の場合は、医師の誤治によって生じたものになります。汗を大量にかかせ、度々、嘔吐と下利をしたことによって、血を失ってしまったことになります。この病は悪寒がしてから発熱する。夏の暑い時期には、服を何枚も重ねたがる。冬の寒い時期には、服を脱ぎたがる。これは陽が微になったことにより惡寒がし、陰が弱いことで発熱をしていて、医師が汗を出させてしまったことで、陽気を弱くしてしまったことにより生じます。または大きく下させてしまったことにより、陰気が弱くなってしまうこともあります。

 

五月のときは、陽気は表にあり、胃の中は虚冷になるので、陽気は内側では少なく、冷えに勝つことができないので、服を着たがることになります。十一月のときは、陽気は裏にあり、胃の中は熱で煩わしくなっているので、陰気が内で弱くなり、熱に勝つことができなくなるので、熱くて服を脱ぎたくなってしまう。また、陰脈に遅濇があるときには、血が失われていることが分かります。

 

脈が浮で大で、心下に硬さがあるのは、熱が臓にあることになり、これを治療するときには発汗をさせないようにします。腑に属するときには、小便をださせすぎないようにします。小便が多くなると便が硬くなり、汗が多くなると熱が取れ、汗が少ないと便が硬くなります。脈が遲ならば治療で攻めることはできません。

 

 脈が浮で洪のときは、汗が油のようであり、喘いで休めず、水や重湯も食べられず、身体に力がなく、静かになったり騒いだりする。これは、命が絶えてしまう状態です。また、どの臓から始まったのかはわかりませんが、もし汗が出て髪が潤っていて、喘いで休めないときは、肺がだめになってしまっています。陽とどまり、身体が煙でいぶされたような状態で、一点を見つめて頭が揺れるときは、心がだめになってしまっています。唇が反って青くなっていて、四肢に汗が出るときは、肝がだめになってしまっています。口に周りが黒く、汗が少し出ていて黄色いときは、脾がだめになってしまっています。小便が漏れてでてしまい、狂言があり、目がつりあがり直視しているときは、腎がだめになってしまっています。

 

 どの臓の陰陽がだめになるのかは分かりませんが、もし、陽気が先にだめになるのであれば、陰気が後にだめになってしまって亡くなってしまうと、身体の色は必ず青になります。陰気が先にだめになり、陽気が後にだめになってしまって亡くなってしまうと、身体の色は必ず赤くなります。脇の下が温かければ心下の熱です。寸口脈が浮大であれば、医師が下し過ぎてしまったためです。これは大きな誤りであり、浮は血がないことを示し、大は寒であることを示しめす。寒と気がぶつかり合えば、腸鳴することになります。医師がそのことを知らないと、かえって冷たい水を飲ませることになり、汗を多く出させることになります。水は寒気であり、寒気がさらに身体を障害することにより、その人は食べることも難しくなります。

 

 趺陽脈が浮のときは、浮は虚の状態を示し、浮と虚が互いにあることから、気の巡りが悪くなり食べることが難しくなります。これは胃気が非常に弱くなってしまった状態だからです。脈が滑だとしゃっくりが生じますが、これは医師の誤治であり、虚を責め実を取ったからであり、空っぽの状態をそのままにして血の治療をしたためです。脈が浮だと鼻の中が乾燥し、鼻血が出ます。

 

 いろいろな脈で浮と数があるときは、発熱して、悪寒がある状態であり、痛みがあり、飲食が正常に保たれているとときは、膿が蓄積しています。

 

 脈が浮で遅は、顔が赤くなり、身体がふるえている人は、6~7日すれば汗がでてよくなります。発熱をする場合は、よくなるのが遅くなる。遅くなるのは、陽がないためで、汗をだすのが難しくなり、身体に痒みが生じます。

 

 寸口脈の陰陽がともに緊の場合は、清邪は上焦にあり、濁邪は下焦にある。清邪が上焦にあるのは、潔といいます。濁邪が下にあるのを渾と言います。陰に邪が影響すれば、内ではふるえが生じ、表の気が弱くなり、裏の気が守れなくなるので、邪は陰を障害します。陽に邪が影響すれば、必ず、発熱、頭痛、項強、頚攣、腰痛、脛のだるさが生じますが、これは陽に霧露の気が影響した状態とも言えるので、清邪は上に影響します。濁邪が下にあると、陰気は、陰気はふるえを生じ、足膝が寒くなり、大小便が漏れます。表の気が弱く、裏の気が強いようだと、三焦が通じなくなるために、内外の流れが悪くなり、上焦の気が停滞することで、臓気は互いに問題を生じ、口がただれ食べられなくなります。中焦の働きがだめになってしまえば、胃気は上に昇り、脾が消化吸収できなくなり、胃は濁が多くなり、営衛が通じなくなってしまい、血の流れが停滞し流れなくなってしまいます。

 

衛気だけが働いている人は、小便が黄色くなり、熱が伝達することで、経絡に侵入し臓腑まで影響することで、熱が体内をめぐってしまい、化膿しやすくなってしまいます。陰気だけが働いている人は、陽気が非常に弱くなるために、陰気は外邪が侵入しないように抵抗することになり、くしゃみをして外邪を出そうとします。声がむせび、喉につまりが生じます。

 

 外邪の寒と弱くなった陽気がせめぎあい、熱にさえぎられてしまうことで豚の肝臓のように、血はかたまり下ってしまうことになります。陰陽がともに弱ければ、脾気が単独で弱くなり、五液が下にくだります。下焦が閉じられないので、大小便は下に降りることになり、大小便が出やすくなり治りにくいです。臍に痛みが生じている場合は、命を救うのが難しくなります。

 

 脈の陰陽がともに緊の人は、口の中に気が出ることで、唇や口が乾燥し、身体を丸めて横たわり手足が冷たくり、鼻水がでて、舌上にぬめりがあるので、妄りに治療をしない。7日を過ぎて、その人がわずかに発熱死、手足が多多貯まれば、よくなろうとしています。8日後に発熱が強くなるようと、これは治りにくいです。悪寒する人は吐きたがり、腹痛がある人は下痢することになります。

 

 脈の陰陽がともに緊で、しばらくすると吐き、緊脈がのこっているときは、緊が消えると病がよくなります。もし、脈が遅になり、6~7日後に食べたくなくなるのであれば、その夜に夜に吐くのは、水の停滞によって生じており、まだよくなっていない証拠です。食べることが出来る人は、治ります。病になって6~7日して手足三部の脈がそろってくると、胸がもだえるようになり、話すことができなくなり、それで騒ぐようになった人は、よくなります。

 

 脈が浮で数は、浮は風であり、数は虚になる。風は熱であり、虚は寒になる。風と虚が合わされば、水にあたったように寒気がします。

 

 脈が浮で滑は、浮は陽であり、滑は実になる。陽と実が合わされば、脈は速くなり、衛気の働きを失ってしまいます。浮滑で脈が速くなり、発熱し汗が出る人はよくなりませn。傷寒で咳をしていて、脈が散のものは死んでしまいます。なぜなら形を損なってしまっているからです。

なる。陽と実が合わされば、脈は速くなり、衛気の働きを失ってしまいます。浮滑で脈が速くなり、発熱し汗が出る人はよくなりませn。傷寒で咳をしていて、脈が散のものは死んでしまいます。なぜなら形を損なってしまっているからです。

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