心と身体は別として捉えられがちですが、本来の人は、心と身体が一つの物として存在しているので、禅だけではなく、医療、運動、生活においても心と身体が一つであると考えなければいけないので、心身一如は多くの人に取って大切な言葉と言えます。
東洋医学では「心身一元論(しんしんいちげんろん)」とも関わるので、心身一如は、東洋医学を行う人に取っても大切な言葉になります。そこで、今回は心身一如についてまとめてみます。
1.心身一如の由来
心身一如の由来は、道元(1200~1253)や栄西(1141~1215)と言われています。心身一如は書き方、読み方からいくつかに分かれていますが、歴史的な経緯が関係しているようです。意味としては少し違いが出てきますが、基本としては大きな変わりがないと言ってもいいのではないでしょうか。言葉の出典などに関しては、非常に興味深い論文があったので、タイトルと著者を載せておきます。
「心身一如」の由来を道元・栄西それぞれの出典と原点から探る
仲 紘嗣
- 心身一如(しんしんいちにょ)
- 身心一如(しんじんいちにょ)
- 心身一如(しんじんいちにょ)
- 身心一如(しんしんいちにょ)
文字の順番、読み方が違うのは意味の違いもあるでしょうが、昔の書物は書き写していくので、書き間違いからそのまま伝わっている可能性があります。または、見た目によって変えた可能性もありますが、実際は、書いた人を全てつかまえて説明してもらうことができないので、推測していくしかないですね。
ちなみに栄西は『喫茶養生記』という書籍も書いているので、茶道の開祖とも言えますし、五行についての記載もあるので、茶道、東洋医学では重要な人物になります。
『栄西 喫茶養生記 (講談社学術文庫)』
心身一如は禅の言葉としても有名ですが、禅は仏教と関係をしていくので、心身一如について理解していくためには仏教に関する知識も必要になりますね。
2.心身一如と仏教
仏教については東洋医学でも関係するので、時折調べてはいるのですが、なにせ、難しいところが多いので、自分なりに理解した点で記載しますので、本格的に理解して調べたいと言う人は、専門書を参考にする方がいいですよ。
仏教の目的を簡潔に言えば、存在を無くすこととも言えます。簡潔過ぎたので少し補足すると、人は現世から輪廻し転生していきますが、輪廻の場所では苦しみがあります。輪廻の後に転生して現世を過ごし、また輪廻という苦しみの中に入るので、どうにかして抜け出して幸せになろうというのが目的になります。
抜け出して幸せになるためには、修行をしないといけないので、いろいろなやり方が考案されていくのですが、その中で有名なのが瞑想ですね。修行とは「動き」に関することといえますが、抜け出すということは「無」に関することなので、「動き」と「無」を組み合わせた修行があると言え、何かをしながら瞑想することになります。
瞑想をしていくのは姿勢に拘らないのですが、座って行うのが座禅と呼ばれ、禅は座禅という意味も持ちます。座禅は周囲から見てみれば座っているだけですが、修行の一つなので重要な意味を持ちます。
3.心身一如とは
禅の修行では、身体と心を静かに調えて、座っていることが大切なので、心と身体を統一して成り立たせるものですね。昔の文献でも、訓練を行っていくことで、心と身体が統一され一つの物になると言われています。
現代社会で心身一如が注目されるのは、日々の生活に追われて、心と身体が疲労しているときに、身体に対して薬やサプリメントでごまかしながら生活したり、動かないといけないから心のことを考えずに行動したりすることがあるからですね。
病気になったときも、心の問題は抜きにして、身体だけのことを考えがちですが、心のケアも大切になりますしね。例えば、お腹が痛いということに対して、胃腸薬を飲むのが対処としてありますが、ストレスや生活に乱れによって発生したのであれば、心の健康を取り戻した方が身体の状態もよくなりやすですしね。
心と身体は統一されて、人として成り立っていくので、このつながりは非常に大切なのですが、日々の生活や病気のときには忘れてしまいがちですからね。
4.心身一如と他
東洋医学の用語では心身一元論がありますが、一元論とは物事は一つであるという考え方になるので、心身一如と同じような意味を持ちます。一元論は対比する考え方として二元論があり、二元論では、物事は二つあると考えることができます。
人であれば、心と身体があるので、分ける視点から見れば二元論です。病気の治療の多くでは、その場所だけを見ることが多いので、医療は二元論と関係することが多いです。しかし、東洋医学では心と身体は統一された物で、症状と心が関係するという考え方が根底にあるので、心身一元論と言われます。
二元論以外に物事を分類するのは多元論になります。言葉だけでは分からない部分があるので、政治や運営で考えていく方がシンプルになりますね。例えば、一人のリーダーが全てを考え決定していくのが一元論、2人または2つのグループの対立から考えるのが二元論、多くの人が意見を出すのが多元論と言えます。
もちろん、意見を出すという一つに集約してしまうので、少し違いはありますが、言葉のイメージですね。
人は加齢とともに、身体の能力が衰え、記憶力も低下していきますが、年を取ったときに、もう少し身体が動くと思ったのになと分離してしまうことが多いので、心身の統一は健康維持にとって大切ですね。
5.まとめ
心身一如は言葉としては知っていたのですが、内容は細かく知らなったので調べてみましたが、仏教の禅が背景にあるので、意味内容も非常に深いところがありますね。
仏教の到達の目的は完結に解脱し、存在をなくすとしましたが、本当にそれが正解なのですかね。自分で書いてみて、「悟り」って何だろう、修行って何だろうと考えると、他にもありそうな気がしてきますね。
悟りを開くために修行していきますが、極限になって「何か」という「悟り」に繋がるのであれば、そのときは「神」に触れるからなのですかね。極限状態で生じる精神が不安定で心地よい状態のときに、触れる何かと繋がるから悟りなのでしょうか。修行もしている訳ではないのでわかりませんけどね。