東洋医学で考える虚実と補瀉

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  東洋医学は東洋哲学思想の影響を受けるのと、現代医学の考え方と違うことが多いので、最初は単語を覚えて、意味を理解していかないといけないので、つまずいてしまうところが多いですね。

 補瀉と言う言葉は東洋医学では非常によく使われるものですが、単語を覚えるだけではなく、イメージとしても理解をして、患者さんの身体という実態に対して考えていかないといけないです。このブログでも虚実や補瀉については以前にも書いているのですが、また補瀉という考え方について書いてみようと思います。過去のブログに関してはこちらになるので、参考にしてみてください。

「東洋医学における体調不良の考え方―虚実」

「東洋医学の治療で大切なこと―補瀉は必要か」

 

 東洋医学では身体の状態は心と身体が一つであるというのが元の考え方であり、その一つという状態を気と考えています。そのために、身体を治療するというときには、気に対して考えていくというのが当然なのですが、病気はただ単に気の問題だと言ってしまったら具体的な治療の仕方がなくなってしまいます。気という考え方に関してはこちらのブログを参考にしてみてください。

「だから気って何だよ」

「気には分類がある」

「生命現象と気―気の作用」

 

 東洋医学には気という理論だけではなく、陰陽という概念があるので、身体が病気になった状態を陰陽で考えていきます。陰陽は身体の成分ということで考えることもできるのですが、物事を2つに分けるという考え方でもあります。陰陽に関してはこちらのブログを参考にしてみてください。

「東洋医学の陰陽って何?」

 

 身体の状態を2つに分けますが、身体の状態を考えないといけないので、2つに分けるのにルールを作ります。

  • 身体が弱っていることで病気になった
  • 身体は丈夫なのに食べ過ぎや環境の変化で病気になった

 

 例えば、忙しい状況が続いて睡眠不足が続いた場合は、身体の免疫力が低下をするので、体長不良が生じますが、この場合は、前者になります。体調は問題なかったのに、急に寒くなってしまったことで風邪をひいたのであれば、後者になります。前者のことを虚、後者のことを実と考えていきます。

 

 治療をするのには身体の状態を把握しなければいけないですが、虚と実という単語に置き換えることによって、虚の治療、実の治療ということで分けることができます。この虚と実に対しての治療方針が補瀉になります。

 

 補は補うので、不足と関係する虚に対する治療で、瀉は取り除くという意味になるので、余分と言える実に対する治療になります。

 

 ここでひっかかってしまいやすいのが、現代医学は症状に対して治療を加えていくので、一般の考え方としては、風邪には風邪薬なのだから、虚実・補瀉は必要ないのではないかということになりますね。

 

 東洋医学では、症状に対応する治療を行うこともあるのですが、症状を発生させている身体の原因を考え、その原因に対して治療を行うことを重視するので、その人の身体の状態の虚実を決め、治療は補瀉を行うことが大切だということになります。これは現代医学と東洋医学の違いというのが元になるので、分かりにくいところも出てきてしまうのは仕方がないのかもしれないですね。現代医学と東洋医学の考え方の違いはこちらのブログに書いていますので、参考にしてみてください。

「現代医学と東洋医学の違いはなにか」

「現代医学と東洋医学の違い―狩猟の医学と農耕の医学」

 

 補う・取り除くという意味の補瀉と言ってもイメージがつきにくい人がいるかもしれませんが、普段の生活の中で目にしている物や体験していることは多いです。

 

 例えば、補という治療と関連する一般用語としては、滋養強壮という言葉がありますよね。病気になったり、疲れたりしたときには精の付くものを食べた方がいいという考え方は当たり前のようにありますよね。ただ、滋養強壮だから油ものや濃いものを食べるのは、実際の滋養強壮という概念から外れてしまいます。

 

 東洋医学では油ものや濃いものは身体に必要な部分があるとはしているのですが、強いものを食べると身体は頑張って消化をしないといけないので、滋養強壮になる本当の食べ物は身体に負担がかからない物を指すことになります。

 

 瀉という治療と関連するのは、普段の生活の中で考えることができますが、食べ過ぎてしまっときにはお腹が苦しくなりますが、これは吐き出してしまえば、辛さは消えるので、治療と言えますよね。これが瀉法の基本の考え方になります。

 

 症状に対して治療をするのではなく、身体の状態と病気の原因を見て、虚実を決定して補瀉の治療を施すというのが東洋医学の治療になります。症状に対してではないので、東洋医学ではその人の“証”を決定するのが重要と言われます。

 

 “証”という言葉を使わないと、虚証の人、実証の人という表現にしないといけないですが、東洋医学では虚証、実証と言ってしまいます。

 

 そんなに簡単に身体のことが分類できるのかという疑問につながるかもしれませんが、陰陽は分類をし続けられるという法則があるので、虚証の人でもさらに虚証と実証の人に分けて考えることができます。

 

 例えば、体調が悪くなってしまって、身体の持っている力が弱くなり、食事をしたら上手く消化ができなくて、身体に停滞する感じが生じてしまうのであれば、この人は虚証がベースで実証になってしまったと考えていくことができます。原因に実と関係するものがなければ、虚証の虚証なので、単純に虚証の人ですよね。虚証で実証の人は、虚実が混在しているので、虚実挟雑という証に変わります。

 

 実証の場合でも実証と虚証を分けることができます。例えば、食べ過ぎで体調が悪いのであれば実証と言えますが、過ぎる状態が長期で続くと、身体の持っている機能が低下するので、実証が原因で虚証を発生させてしまうことになります。食べ過ぎ・飲み過ぎで腎臓や肝臓の障害が起きてしまう生活習慣病は実から始まって虚証を発生させている虚実挟雑証と表現をすることができます。

 

 こういった虚実に対する話に関しては、八綱弁証とも関係をするので、八綱弁証に関してはこちらのブログを参考にしてみてください。

「八綱弁証とは何か」

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