患者さんとの会話で注意をすること

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 いつ言われたのかは覚えていませんが、患者さんとの会話で注意をしないといけないのは、政治・宗教・野球と教わりました。

 政治・宗教・野球?患者さんと普通に会話をしていると言う人がいるでしょうし、私もしていますが、注意をしなければいけない話題なことには変わりがないです。

 

 何故、注意をしないといけないのかというと、個人の主義・主張が強く入る分野でもあるので、話す内容や返答によっては相手と違うことがあり、受け入れられにくい分野でもあるので、喧嘩別れになってしまうことがあります。

 

 患者さんとの会話で合うと思っていても、治療院で完全に二人っきりだったらいいのですが、他に患者さんがいる場合、その方の主義・主張と大きくかい離をしているときには、心象的にいい思いをしないので、治療効果が下がることも出てくると思います。

 

 日本では民主主義を取っているので、個人がどう考えて、どう発言をするのかというのは、迷惑がかからず、犯罪でもなければ許されますが、個人的に思いが強くなれば、意見が対立します。基本的には、意見が対立してもいいけど、結果は出さないといけないのが政治でもあるので、多数決によって決定をしていきます。

 

 決定の反対意見だった人は、決定に従っていかなければいけないのですが、気分を害してしまい、遺恨が生じることもあるのは現実世界でも同じですよね。ですから、自分の考えでA政党に決めたとしたら、A政党と反対意見の人がいるということです。ちなみに、政治などに関しては、家族でも自分の考えを持って、自分で決定をしていくのが大切だというのが私の考えです。

 

 なぜなら、自分がいろいろ調べて正しいと思ったことだけが正義ではないでしょうし、間違えることは必ずあるので、反対意見も重要だと思っているからです。ただ、人間的にそこまで出来ている訳ではないので、気分はよくないでしょうね。

 

 人が生きている中で絶対的な正解はないので、いいと思うものを取り入れて変えていくのは大切なことなので、“違う”という点は大切にしないといけないですね。日本の教育の中では“違う”というのは、よい意味で使われないのですが、一人一人、体格、顔、声も“違う”ので“違う”ままでいいですし、理解を出来なくても仕方がないのですが、受けいれる入れることが重要でしょうね。

 

 宗教は人の生死についてを考えるものでもあるし、生き方を既定する場合もあるので、宗教観を話すときには、違いというのが政治以上に難しい分野でもあります。しかも、ちょっと勉強して語られる分野ではないので、自分がどう話をするのかというのも重要ですね。

 

 私は宗教観という話しになるときには、多神教がベースで一神ではないというスタンスを取ることが多いです。これは、相手を受け入れるためでもあります。一つの神ということだと、その神が重要になるのは当然ですし、それが正しいですが、違う神と言う話になれば、それは神ではなくなると考える場合も出てきてしまうでしょうし、トラブルにもなるので、基本的には中立な立場を取るという点と、多神教の方が自分には合うと思うので、意見として採用をしています。

 

 多神教というのは、何にでも神が宿るという考え方で原始的宗教と考えられることがあります。例えば、自然の物や物に神が宿るので大切にするというのは、日本の中では当り前に言われることなので、これが多神教の考えとも言えます。

 

 どういった宗教でもいいと思いますし、違いがあってもいいのですが、我々は多くの方と対応をするので、自分とは“違う”人が来た場合に、受け入れるのが大切なので、自分のスタンスにしています。

 

 野球については大げさかもしれないのですが、自分の贔屓にしているチームがあって、感情も移入をするようであれば、勝負の結果や話しによっては機嫌が悪くなることもあるでしょうから、野球に限らず、スポーツ、芸能人の会話は注意をすることが多いですね。

 

 そういう会話になったとしても、私はスポーツを見ないし、テレビを見ないので芸能人も知らないので、どういう話しなのかと聞くことが多いですね。ですから、愚痴や感想を聞くだけとも言えるので、この分野の会話は私に取っては全く問題がありませんね。

 

 通常、私は、いろいろな書籍を読んでいる傾向があるので、知らないことがあると質問をされることがあるので、回答したり、日常の会話をしたりすることが多いです。

 

 必要ないこともあるかもしれないですが、心と身体を回復させに来ているのに、心を傷つけてしまうとよくないとも思うので、会話に少しだけ注意をしています。

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