東洋医学の三宝(さんぽう)とは?

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 三宝は東洋医学の用語として出てくるものであり、精・気・神の3つを三宝と呼んでいます。

 東洋医学で身体のことを考えるときには、治療として考えることが多いので、気血津液の状態と臓腑の問題を考えることが多いです、身体がどのように出来あがっているのかを考える時には、気・形・経絡から成り立っていると言えます。

 

 こういった考え方を気の類・形の類・経絡の類ということで、東洋医学で考える身体の構成でもあり、気の類は三宝、形の類は五臓六腑など、経絡の類は経絡になっているので、三宝と言えば、気の類と言えます。

 

 この考え方は、身体というのは、分からない力で出来ているというのが気の類、実態としての身体を形の類、ツボや経絡は経絡の類ということで、身体は3つからできていると考えることができますね。経絡は臓腑と関係をするので、経絡の類と形の類と関連をしていて、気は、臓腑・経絡とも関わるので、気・形・経絡は相互に協調して存在をしているものです。

 

 気の類というのは、身体を存在させるための基礎物質として考えることが出来るのですが、この基礎物質は見えるものではなく、生命力とも関係をするので、気・精・神という見えない物が入れられていきます。

 

 最初に見た時に、何故、血や津液が入っていないのかと思ったのですが、身体の中を流れる血・津液は物体として存在をしているので、分類としては形の類になると思います。

 

 精は気の変化をするし、気と精は同じような物としても捉えることは出来るのですが、生命力・生殖に大きく関係する物が精であり、生きているという状態・行動と関係をするのは気になるので、精と気は別の物であると考えていきます。

 

 神は気とは違い、存在・機能がなりたつために必要なものであり、全ての物には神が宿るという考え方が大本になっていきます。存在・機能では精・気と同じような物だと考えてしまうことがありますが、神という概念は気・精とは違い、畏敬という概念があります。

 

 この畏敬という意味は、畏れ・敬うという意味が含まれるので、恐怖の対象でもあるけど、尊敬すべきものであり、この特別な感情・行動を神という概念で表現をしていきます。

 

 例えば、とてつもなく美しい自然や物を見た時に、感動をして手を合わせたり、涙をながしたりという状況があると思いますが、これは具体的な何かに対して、感動をしているのではなく、その存在(状況)が素晴らしいと感じるものだと思います。

 

 具体的な物としては、花が開いた状態に感動をしたとしたら、花という存在を成り立たせていくのが精であり、開く力は気になりますが、花が開いて奇麗で感動をした、生命の動きや成り立ちが素晴らしいと感じたというのを神という言葉で表現をしていきます。

 

 神という概念を理解しようとすると、非常に難しい物だと思いますし、私も文章として書けるものではなかったのですが、いろいろな経験をしていくことで神という概念はこういうことなのかなというのが分かってきた気がします。

 

 自然で美しい物や奇麗な物、不思議な物があれば、何でだと思う前に感動をして心に響くことがあると思いますが、この原始的な感覚が神で、成り立ちを考えていくと、動であり陽でもある気、静であり陰でもある精によって成り立っていると後から考えていくのだと思います。

 

 いやいや、神の概念って、言葉で表すのって非常に難しいですね。少しは理解に役立てたのかなと疑問に思ってしまいますね。

 

 学生の時に三宝って学習したのかもしれないですが、私の記憶には全くなかったので、最近、見直しをして何だろうと考えるようになったので、まだまだ理解が完全ではないのかなという気もしてしまいますね。

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