肺の生理はいろいろな内容がありますが、肺の機能として重要だと思っているのは宣発と粛降の働きではないかと思っています。
肺の働きとしては、宣発、粛降、主気、通調水道という言葉がありますが、主気や通調水道という表現や病能は宣発と粛降を理解することで説明が出来る内容が多いので、宣発と粛降をしっかりと理解していくのが大切だと思っています。
宣発と粛降は、肺の機能として考えることが出来ますが、これは身体の観察から宣発と粛降という機能を思いついたのではないでしょうか。人の生命活動を考えたときに生きているという状態が必要になりますし、生きている状態は呼吸をしていることが大切ですね。
人が呼吸をしている状態を観察してみると、寝ている状態では胸膈・腹部が呼吸によって上下動していますし、立位の状態でもよく観察をすると、身体の上下・左右に動きが出ているので、この外・内への動きを宣発と粛降という言葉で表現をしています。
外への動きが宣発であり、内への動きが粛降であり、上への動きが宣発、下への動きが粛降と言えます。
身体活動としても上下、内外への動きが大きいので、これは身体に大きな働きをもたらすということで、肺の機能は、気と津液を全身に輸送する働きが割り当てられています。
宣発と粛降は運動方向が逆になるので、宣発の動きは粛降によって管理をされ、粛降の動きは宣発によって管理をされていると言うことができます。どちらか一方に偏らないというのは中庸という哲学思想に合致をする物でもあるので、肺の機能は偏らずに、反対方向への活動をしていると言えますね。
呼吸活動を考えていくときに、身体に不必要となった濁気は外に排出する必要があり、身体に必要な清気は内に取り入れる必要があるので、宣発と粛降は呼吸活動と表現をすることが出来るだけではなく、清濁の交換に関与をしています。
人の身体という物は一つの入れ物のなかで機能をしているので、宣発と粛降という働きは相互に制約をしているだけではなく、相互に助け合っている関係があります。
例えば、コップの水を内側から外側にかき回せば、コップの壁にぶつかって内側に戻ってくることになるので、宣発の働きが正常に働けば、身体の外側まで向かった力は身体の外側に跳ね返されることになるので、内・下への働きである粛降を助けることにもなります。
粛降は内・下へ向かっていく働きなので、下・内への力が限界に辿り着けば、力は反対に作用することになるので、上・外への力を助けることにもなります。粛降は下・内への力と考えていくことが出来るのですが、下へ向かう力は最終的に排泄にもつながっていくので、粛降が働くことで、身体の中にある物が体外に排出され、その分、スペースが開くので、正常な宣発と粛降の動作に集約をしていくことにもなります。
宣発と粛降の働きを考えていくのには、風船をイメージする方がいいと思うのですが、外から空気が入ってくるのは粛降という動作であり、外に広がっていくのは宣発とすると呼吸に関するイメージにはなるのではないかと思います。
そう考えると粛降という吸気が働くことによって身体は膨らむことになるので、粛降が宣発を働かせていると考えることが出来ますし、宣発によって身体は縮むことになるので、宣発が粛降を働かせていると考えていくことが出来ます。
宣発と粛降という働きは、気・津液に対して働きかけるだけではなく、身体の運動にもつながり、気を動かせば血を動かすことにもなるので、血流調整にも関与をしていると考えていくことができます。
通常は、血の運行は心と肝によって成り立っていると考えるのが正常ですが、気血津液、臓腑の働きは相互に影響をしている物になるので、気・津液の運行に関与をする肺が血の運行にも関わるというのは当然のことになりますね。
例えば、呼吸器系の疾患が生じている場合は、肺の問題だと考えていくことができますが、肺の問題である呼吸器系疾患が強く生じている場合は、顔色が悪くなり、身体の血流が悪くなるのは当然とも言えますが、これは宣発と粛降が機能をしなくなってしまうことによって、血への影響が出る結果と言うことができます。
宣発の働きが低下をしてしまうと、全身へ津液を輸送する働きが低下をしてしまうので、肺と関わる皮の滋潤作用が低下をしてしまうので、肌の乾燥が発生をしてしまうことがあります。
粛降の働きが低下をすると、水分を排出する腎へ水を送る働きが低下してしまうために、排尿障害が発生をしてしまうことがあります。通常は、粛降が低下をすると、送れないので、尿量の減少になるのですが、粛降が過剰に働いてしまうこともあり、その場合は、水を余分に腎に送ってしまうので、尿漏れのように水が身体の外へ出てしまうことがあります。
宣発と粛降という違う働きを上手く協調して働かせなければいけないので、肺の機能は、管理・調節という意味の治節と言われることがあります。