『医療の限界』を読んでみました

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 日本の医療は国民皆保険制度によって、誰でも、どこでも安価に医療を受けられる素晴らしい物ですが、医療、医療制度の崩壊というのはよく言われていますね。

 医療に関わる仕事をしているので、医療・医療制度に関係する内容には目を通すようにしているのですが、まじめな書籍は読んでいて疲れてしまうことがあるので、数か月に1冊を読む程度です。

 『医療の限界 (新潮新書)』

 日本の医療制度は、誰でも、どこでも安価に医療を受けられるように整えているものですが、制度としてはお金(サービス)を提供する人とお金(サービス)を受ける人で考えていくので、提供する人が多ければ、受け取る人が十分なお金(サービス)を受けることが可能になるのは当然ですね。

 

 こういった視点から考えていくと、医療が必要な人は、本当に病気の人、高齢者に集中をしやすいので、日本のように超高齢化社会になってしまうと、制度そのものが欠陥になってしまうことになります。

 

 書籍の中では、医療制度ということではなく、医療を提供する側と受ける側のズレについての話があるのですが、そのズレを死生観という視点で書いているのは、目にする機会が少ない物だなと思いました。

 

 医療に対する考え方のズレが死生観と繋がるというと、話が展開をし過ぎるのですが、確かにその通りだなと思います。

 

 筆者の説を自分なりに解釈をしてみると、日本では、他の国と同様に、発展途上の段階では身の回りで多くの人が亡くなるので、人が亡くなるというのが当たり前の状況だったのに、近年では乳幼児の死亡率が低下をし、高度医療も発達をし、病院死が増えたことで、身の回りで人が亡くなるというのを知らないことになってしまったので、人が亡くなると言うことが不自然になってしまったのが死生観のズレと言えます。

 

 医療に関わっていけば、人は未知の物であり、生まれたら亡くなるのが当然になってくるのですが、一般の中では、医療を使えば、病気が治り、亡くなることはないという、人は亡くなることがないという前提になってしまっているのが大きなズレであり、亡くなるということは、ミスがあったという前提になってしまうと考えることが出来てしまいます。

 

 ミスにもいろいろな意味があり、不注意や見逃しは問題になってくるでしょうが、人の身体を完璧に把握することは、現在では人、機械のどちらでも把握することは不可能ですし、完璧に出来たはずという前提に立った視点から考えると、病気が発見できなかったのは全てミスだということもできます。

 

 人は未知なる物であり、どれだけの人が観察をして、どれだけの時間をかけて機械で調べても完璧には答えが分からない物なので、治療をする一瞬で完璧に分かるはずだという前提条件になり、人は亡くならないという前提から考えてしまえば、亡くなってしまった場合は、全てミスということになりますが、それは医療なのでしょうか。

 

 医療に関わる特に、医師・看護師は非常に激務ですし、収入がよくても、日々のストレスも多くあり、完璧でなければミスという前提で非難をするようであれば、医療に関わりたいという人が減るでしょうし、医療職が減れば、十分な医療を受けることが出来なくなってしまうために、健康を守ることが出来なくなってしまいます。

 

 生老病死は、本来は、人に取っては当たり前の物です。しかも、生老病死は、人の感情を伴うことが多いので、生老病死に関わるということは、感情への対応が求められていきます。

 

 健康を守るため、医療を守るため、必要なことは何なのでしょうか。考えさせられる書籍でした。

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