経脈は正経の十二経脈、奇経の奇経八脈で、全部で20の経脈がありますが、その中で手三陽経は特徴があります。
もちろん、手三陽経だけではなく、他の経脈にも特徴があるのですが、手三陽経は成立から考えると、すぐに治療に使いやすいような特徴があります。
経脈の成立ちでは、『霊枢』経脈篇が中心になってくるのですが、それ以前の経脈の形だろうと考えられている物に、『馬王堆(まおうたい)』の話しがあります。
『馬王堆』は湖南省長沙にある紀元前2世紀の馬王堆漢墓から出土した書籍のことであり、材質の違いから、帛書(はくしょ:布製)、竹簡(ちくかん)、木簡(もくかん)があります。このお墓の発掘で有名なのは、たまたま保存状態が良好の遺体が発掘されたので、2000年以上前の状況がよくわかったところです。書籍には中国古代の文献が含まれていたのですが、その中に医学に関する書籍があり、経脈についての記載があります。こういった状況に関してはネットで調べてみるといろいろ出てきますが、こちらの書籍にも記載があるので、東洋医学の歴史を知るには持っていていいと思います。
『新版 漢方の歴史 (あじあブックス)』
ここで発見された経絡では、現在の経絡走行と似ていることから、対応をされていくことができるのですが、手三陽経は陰陽という名称がなく、肩脈・耳脈・歯脈という記載になっています。
肩脈は現在の手太陽小腸経であり、耳脈は現在の手少陽三焦経であり、歯脈は現在の手陽明大腸経になります。
こう考えると、手三陽経は陰陽や臓腑との関係性がなかったということなので、症状に合わせて治療をしていたのではないかと思います。
現在の経絡の走行を考えてみても、手太陽小腸経は肩付近に経穴が多いですし、手少陽三焦経は耳の後方を周るように経穴がありますし、手陽明大腸経は下歯に流注をしていると言われています。
そう考えると、肩の治療は経絡の原始的な考えから言うと、手太陽小腸経を使って治療するのが効果的なのではないかと考えていくことができます。同様に、耳であれば手少陽三焦経、歯であれば手陽明大腸経で治療が出来ると言うことですね。
手三陽経では、合穴が存在していますが、下合穴という概念が出てくるので、国家試験前に苦労をした覚えの人もいるのではないでしょうか。
下合穴は下肢にある陽経(腑)の合穴ということで、足三里、陽陵泉、委中、上巨虚、下巨虚、委陽になるのですが、本来の下合穴の意味は手三陽経では臓腑の治療をしにくいので、下に作ったのではないかと思っています。
上巨虚は大腸の下合穴、下巨虚は小腸の下合穴、委陽は三焦の下合穴になっていますが、臓腑の働きも含めて考えたのもあるでしょうが、効果からまとめたところでもあるのかなと思います。
胃は六腑の大主であり、通降の働きがあり、小腸・大腸に対しても影響をしている力なので、小腸・大腸の下合穴は胃経に存在をしているのではないかと思っています。解剖学的な順番は違いますが、足三里の下に上巨虚、その下に下巨虚があるので、胃の下にあり支配下にあるということを示しているのではないかと思います。
委陽は三焦の下合穴ですが、三焦は気と水の通り道として機能をしているので、胃経や胆経の上ではなく、水の排泄に関わる膀胱に所属をしているのかなと思います。
身体の中の水は津液と呼ばれていき、脾の働きにより生成をされ、肺によって全身に輸送をされていきますが、その通り道としては三焦になります。全身を循環した水は排泄に向かうので、腎の支配により膀胱にまとめらえて排泄されますが、水に関わる三焦の下合穴が膀胱経に所属をしているのは納得が出来るところです。
経脈・経穴の名前や働きは時間とともに成立をしてきたものになるので、こじつけが多いのではないかと思う時期もありましたが、最近は、よく考えて作っているのだろうなという気持ちになっています。