金元四大家

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 金元四大家は、東洋医学の思想においては重要な人達になるので、一度はしっかりと見てもいいのではないでしょうか。

 私は金元四大家については名前と少しの知識しかないので、せっかくだからまとめてみたいと思います。

 

 今回、参考にしたのは、『中国鍼灸各家学説』の書籍になります。中国の歴史の中で、鍼灸を行った人達や考え方がまとめられているので、考え方を学ぶ上では便利な書籍だと思いますよ。

『中国鍼灸各家学説』

 

1.劉完素(りゅうかんそ):1110年頃~1200年頃

 劉完素は寒涼派と言われ、様々な書籍を書いています。それまでの東洋医学では、病の原因は一つであるという考え方がない状態だったと考えられていますが、劉完素は、自身の研究の結果、病の原因は六気が熱に変化をして生じていると考えていきました。

 

 金王朝は、宋王朝の北半分を征服して設立した時代になり、金王朝(1115~1234年)の時代は、劉完素の生涯とも大きく関係をしていると思います。その時代に関する資料が手元にないので、王朝が交替するという時代はどのような傾向があったのだろうかと考えたのですが、劉完素の小さい頃は金王朝が設立する時代であり、戦乱の影響も残っていたのではないかと思います。

 

 戦乱は、食糧の確保、生活環境ということを考えるといい状況ではないので、環境変化に対応できずに、病になる人も多かったのではないかと思うので、多感なときに感染症というのがイメージとしても残っているのではないかと思います。

 

 そのために、病気は環境の影響によって生じることが多く、外邪が身体に働きかけ、外邪が身体の中で停滞をすると、熱化をするので、熱を取る治療にいきついたのではないかという妄想になりました。熱に対する治療でお灸を使っていたというのも特徴的な状態ですね。

 

 劉完素の処方としては防風通聖散が有名ですが、外邪・熱を取る漢方薬としても有名なものですが、書籍によれば刺絡・灸を治療で用いたという説明になっていますね。戦いが絶えない時代だったでしょうし、身体は強くしておかないといけないので、丈夫な人が多かったけど、外邪にやられやすかった時代だったのでしょうか。

 

2.張従正(ちょうじゅうせい):1156年頃~1228年頃

 張従正は攻下派と言われ汗吐下が中心になります。劉完素に師事した時期もあるので劉完素の外邪からできる熱が病の原因であるという思想の影響を受けたいたのだろうと思います。そのことから、劉完素は熱が病の根本として考えたものを、病の原因は元の外邪だろうと考えたところが特徴だと思います。

 

 師事して影響を受けたからか、鍼灸の治療の中では刺絡を使うということを重要視していますが、劉完素が行っていた刺絡とは違い、経絡を重視し、出血量を多くするという特徴があります。

 

 詳細なところは分からないですが、劉完素は八邪付近から刺絡をしていたのに対し、張従正は経絡に刺絡を行っているようですが、八邪などは救急の状態で使うときが多い場所になるので、張従正の時代では身体の状態に少し余裕があるのではないかと思いました。

 

3.李東垣(りとうえん):1180~1251年

 李東垣は補土派と言われ、脾胃を補うことが治療において重要だという考え方になり、代表的な処方が補中益気湯ですね。李東垣は易水学派と言われるのを作った張元素の弟子になります。劉完素・張従正が病の原因と治療を簡略化したのに比べ、易水学派は臓腑の寒熱虚実で身体の状態を分けたという特徴があります。

 

 そんな学派から脾胃を整えたら身体はよくなると簡略化した人が出たのは面白いところではないかと思いますね。李東垣が生きた時代は張従正とも重なっていますが、身体を酷使する時代背景から労倦で脾胃の働きが低下をしたという考え方でもいいのかもしれないですね。

 

 劉完素・張従正と病気の原因は実だと考えている中で、虚が病気の本体だと考えて治療をしたのは、大きな違いですね。鍼灸の使い方に関しては、李東垣は虚証にも刺絡を用いていたようですが、お灸はあまり使わなかったようですね。

 

4.朱丹渓(しゅたんけい):1281~1358年

 朱丹渓は滋陰派と言われ、身体の陰を補うことが治療においては重要だという考え方になります。朱丹渓は劉完素、張従正、李東垣の影響を受けているので、熱・実・虚の概念を自分なりに解釈をした結果、流派を作っただろうと考えられます。

 

 病の原因には熱があるというのは、劉完素・張従正の意見を採用した部分だと思いますが、それだけでは実になってしまうので、病になる人と病にならない人には素体があるということで、李東垣が考えたような虚の概念を取り入れ、熱が発生するのには、冷やす力である陰気の低下があると考えたのではないでしょうか。

 

 朱丹渓は背中に補瀉のお灸を行うことで熱を取り除けると考えたようであり、熱の病態に虚実があると考えたのだろうと思います。鍼に関しては刺絡を行っていたようですが、基本的に鍼は瀉法であるという考えだったと言われています。

 

 朱丹渓の時代は、元代であり、戦乱が続いてはいますが、多文化に触れる機会もあり、考え方も多様な状況があったのではないでしょうか。元代はモンゴル帝国と言われた時代であり、広大な領土を保有しながら、人々が自由に行きかうときもあったので、考え方に刺激を受けたのではないかと思います。

 

5.まとめ

 金元四大家は非常に有名な方達ですが、その当時の状況から考えだされた治療法が、改良を重ねて、発展をしたということでは、東洋医学の発展に貢献をした時代だと言えると思います。

 

 もちろん、それぞれの方達の力量と周囲の人達の尽力によって完成をしていったのでしょうが、戦乱という混乱、一時の平和という環境が医療の推進に取ってよかったのかもしれませんね。

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