弁証とは四診によって身体の状態を診察して証を決定していくことで、論治は治療について考えていくことです。治療の効果がよくなければ、弁証か論治かが誤っていることになるので、振り返りを行うためには重要なものになります。
中医学の考え方では弁証論治が基礎になると言われていますが、東洋医学を使っているのであれば、証を決定していることになるので、意識はしていなくても弁証論治を行っていることになります。
弁証法とは、もともとは哲学で使われている用語でもあり、ある一定の条件によって考え方を統一して、答えを導きだすものになるので、東洋医学は四診という基礎を使いながら、様々な弁証法を使って言って、病能を把握していきます。
弁証法には、八綱弁証、気血津液弁証、臓腑弁証、経絡弁証、六淫弁証、衛気営血弁証、三焦弁証などがあり、これらを使うことで用語を統一していきます。東洋医学では気血津液、経絡、臓腑と考えていける方法が多岐に渡っているので、何で考えたらというのを把握していくために、様々な弁証法があります。
例えば、脾の病だと考えた場合には、脾に関係をする症状や所見を確認したはずなので、この場合は臓腑弁証になります。痛みが出ているところが、腹部であれば、腹部に流注する経絡の病と考えれば、これは経絡弁証になります。
もし、脾経上に痛みがあるのであれば、臓腑弁証の脾と経絡弁証の脾経と脾が共通することになるので、身体の状態としては脾として統一して考えることができますが、日常的な診療では肩が痛く、経絡では胆経、臓腑の話しを考えたら脾という状態がありますが、これは弁証法が違うので、どちらも正解になります。
こういったときにどういう風に考えていくかですが、経絡弁証の結果として胆経の治療と、臓腑弁証の脾の治療をどうしたかと分けて考えておくと、何が効果的で、何がダメだったのかを考えていくきっかけになります。
実際は脾の働きが悪く、結果として胆経にも影響が出たのではないかと考えていくこともできるのですが、その場合は、弁証としては治療で使った脾だけにして、胆経上に痛みがあって、治療前後での変化をメモしておくと、次回に経絡を使わないことで、結果がどうなったのかを考えていくことができ、結果が出ていないのであれば、経絡の問題として胆経も使った方がいいのではないかと次に考えることが出来ます。
弁証と言うと、頭でっかちに聞こえていきますが、自分がその時に何を考えて、どういう治療をしようと思って、結果はどうなると予測をしたのかを考えた物になるので、自分の感覚を理論として整理をし、整理をした結果として、知識と結果に繋がっていくので、自分の治療技術の向上に役立つことになります。
論治は治療について考えていくことになるので、弁証を元に治療方針を考え、治療内容を考えていくことになります。中医学では、論治では治法と呼ばれるものがあるので、治法に則った配穴を考えていき、使用する道具や補瀉を決定していきます。
鍼と灸ではどちらの道具を使っていくのか、深さは、ツボはと考えていくと、無現の組合せが出てくるので、弁証だけではなく論治も非常に重要になっていきます。論治の中で、身体の変化が出るようだったら、何度か治療をした後には弁証が変わっているはずなので、身体の状態が変化をしてきたら論治も代えていく必要があります。
例えば、肝鬱気滞の治法は、疏肝理気と呼ばれていきますが、肝鬱気滞は弁証法で言えば、臓腑弁証であり、気血津液弁証では気滞証になり、八綱弁証では裏実平になります。痛みや症状が経絡上に強く発生しているようであれば、関係する経絡を出すことができますが、これは経絡弁証になっていきます。
疏肝理気は治法であり、論治とも言えますが、疏肝理気というのは肝鬱気滞に対する治療の考え方であり、どのような治療方法を使っていくのかまでは完全には示していないと言えます。
処方配穴ということで学習をしているのであれば、疏肝理気に対する経穴がセットになってくるので、中医学の中では疏肝理気だけでも治療方法が具体的に出てきます。例えば、疏肝理気を図っていくのには、合谷と太衝の組合せがいいと考えられているので、疏肝理気に対する配穴は合谷・太衝ということになり、後は適時、自分で選んでいく必要があります。
経穴は全身で361あるので、その中から最適なツボを選び、さらには道具や深さ、補瀉、時間を決定していかなければいけないので、一つの治療でどこを変えたら変化をするのかを理解していくためには、何度も実行して確認を繰り返していく必要があります。
スマホなども使っていることで、慣れてくると思いますが、弁証論治も同様に、正確に出来るようになるためには、使って反省して実行という繰り返しが必要です。