杏林は大学名にもついていますが、中国古代の医師である董奉(とうほう)が杏の木を患者さんに植えさせて林にしたことから、杏林が医者の意味として使われています。
董奉に関する話は道教を研究していた葛洪(283~343年)が書いた『神仙伝』巻10に見られます。中国のサイトでは簡体字ですが見つかりますが、簡体字で検索を書ける必要があるので、「神仙传、董奉」で検索をかけるといいですよ。
董奉は医者として病人の治療をしたのですが、お金を足らない代わりに重病な人は5株、軽い病の人は1株の杏を植えさせました。数年すると、杏の林が出来上がり、下草が生えないように、動物を林に放ちます。
董奉は杏の実が取れるようになると、「杏が欲しい場合は断りはいらない。杏一籠なら穀物一籠を家の前に置いてほしい」と言いました。杏を盗んだりしてしまう人がいるときには、杏林の虎が追いかけ、かみ殺されてしまうこともあります。
盗人の家族が董奉に誤りにいくと、董奉は盗人を生き返らせます。余った杏は売り払って穀物に代え、貧しい人や旅人に与えたとされています。
ただ、治療をしているだけではなく、自分の治療という行為から多くの人を救おうと考えていたと言えるので、医者として素晴らしい人であるという逸話になっています。
董奉、華佗、張仲景は建安の三名医とされているのですが、張仲景は『傷寒論』があるので、実在の人物として考えられますが、董奉、華佗は伝説の人物とも言えますね。
董奉の話は治る・治らないという医療に集中するだけではなく、多くの人を救おうとする姿勢が見えるので、平和な世界を作っていくようにも見えますよね。
「上工は国を治す」という言葉があります、これは上の医者(技術者)は国を治めることが出来ると言う意味なので、董奉は国を治める医者であると考えることもできますね。
建安三名医の華佗は外科手術を行った人、張仲景は病と治療を分類整理した人ですが、二人とも、国を治めるというよりは、医療に特化をした人だというのが分かるので、それから考えると、董奉の方が器としては大きいのかなと思いますね。
それか、医療という話しはあるけど、徳があり、国を治める医者がいないからそういった話しを作ったのでしょうか。
または治療代よりも衆人に対することを考えた集団がいて、その地域で杏が実際に多かったから話しが拡大して董奉という人物になったのですかね。答えは出てくる物ではないですが、興味深いです。