切皮痛に悩むのは最初だけ

Pocket

 学校に入ってから初めて鍼をすると痛いことが多いですし、現場に出てすぐのときも痛いと言われてしまうことが多いので、どうやったら切皮痛が少なくなるのかと悩む人は多いのではないでしょうか。

 私自身も切皮痛が出ないようにしたいと思いながらも痛いと言われることが多く、考えても考えても痛みが出てしまうので、精神的に落ち込むことが多かったですが、そのうち段々と気にしなくなります。

 

 気にしないというのは考えていないからという訳ではなく、あまりにも痛かったらやめよう、自分が注意し続けられることをするしかないと腹をくくった状態とも言えますね。技術は一日で向上して完成する訳ではないので、どうしても時間がかかってしまうのは仕方がないと気付くのか、毎回過ぎて、もう仕方がないと諦めるのか分かりませんが、何年も経ってから、「そういえばいつから切皮痛を気にしなくなったのだろうか?」ということに気付きます。

 

 鍼灸師として働いていると孤独な状況になることが多いですが、初心者の方にお会いすると、切皮痛はどうやったら出ないかという話になって、初めて「自分は気にしなくなっていた」ということに気付きます。私が日々、気にしていたのは最初の2年ぐらいだったのかなという印象です。

 

 治療で鍼を使用しているし、自分にも鍼をしている中で、最初は痛いことが多かったのが、段々と強い痛みが出ることが少なくなり、そのうちに痛み自体が出ることが少なくなって気にしなくなるのだと思います。

 

 慣れていないうちは、押手の置き方や力の加え方が一定ではないので、どうしても鍼を安定させることが出来ないので、切皮痛が出やすいのでしょうが、多くの場所に沢山、鍼を行っていくことで、手の置き方が自然と身につきますし、不安定なところでも自然と手を安定させておけるようになるので、手の余分な力も抜け、切皮痛が出にくい状態になっていくのだろうと思います。

 

 もちろん、何も考えずにやっていれば技術は向上しにくいので、聞くだけではなく、自分で考えながら、技術向上を目指していくことが大切ですし、どのような技術でも同じだと思いますね。

 

 学生のときは切皮痛で悩むことが多いでしょうけど、初めて鍼を触っていくし、まずは鍼を少しでも扱えるようにならなければいけないので、緊張、経験不足で切皮痛が出てしまうのは仕方がないことだと思いますよ。

 

 切皮痛を無くしたいと考えていくでしょうけど、切皮痛を無くしたいのであれば、身体を触り慣れ、どうやったら身体に手がフィットするのかを考えながら触っていくことが出来るかを考えた方がいいと思います。こういったことを考えていくと、あん摩を沢山やってから鍼を触れていくのは、身体を触り慣れて自然な手が出来るようになるということなので、真実だなと思います。

 

 鍼灸をするのであれば、あん摩をしない方がいいという意見も出るでしょうが、押す・揉むしかしない、考えないのであれば、もちろん、鍼をするよりも全てあん摩で解決しようという考えになってしまうのでダメでしょうが、そもそも「考えない」ということ自体がよくないので、「考えない」のであれば、技術の向上は目指せないでしょうね。

 

 技術は触って上手くなるというのは一つの真実で、触ったことによっていろいろと分かるようになるのは当然なのですが、触って分かったことを情報として整理して、「考える」ことをしなければいけないですね。

 

 人の感覚は研ぎ澄ませれば、機械を超える力もありますが、慢心は失敗に繋がってしまうので、考えることをやめて触ればいいというのはよくないと思いますね。

 

 この文章にたどり着いた方は、切皮痛に悩んでいるので解決方法を探しているのだと思いますが、何かを見たら上手くなる物ではないので、触ることを考えていった方が切皮痛をなくす近道だと思います。

 

 例えば、自分の大腿部に押手を置いて、手がぺったりとついて力が抜けているか確認してみてください。さらに押手として構えてみて、手が滑ったり、力がかかったりしているようであれば、切皮・刺入しているときに押手がずれてしまうので、自然に押手を構えた状態で10分程度を置いても全く疲れないような、リラックスした状況が出来れば、切皮痛も軽減する可能性が非常に高まると思います。

 

 どこか一か所で出来るようになったとしても、身体には太いところ、細いところ、平らなところ、丸いところという、いろいろな形状があるので、場所によって、同じようにリラックスして置けるようになることが重要ですね。

 

 切皮痛が生じるということは、鍼を持っているので、押手を構えるだけではなく、鍼管を持つ、刺入するというのも関係するので、押手を自然におけるようになったら、今度は、鍼管を持っても力が入らないようになる必要があり、実際に切皮・刺入するときも押手がリラックスしていることが必要ですね。

 

 押手を作るのは自然になっても痛みが出る場合は、刺手のスピードの問題もあるでしょうが、刺入する技術が低いと押手にも余分な力が加わってしまうことがあるので、刺入力が上がってこないと切皮痛を軽減するのは難しくなってしまいます。

 

 切皮痛をなくすのは数が必要とも言えますが、刺入する力は経験を積まないと向上してこないので、確かに数をこなす必要はあります。鍼は、太さ、長さでいろいろな形状があるので、最初の段階は得意な鍼を作って、それからいろいろな物に挑戦をしていくのが技術の進歩としては普通のやり方かなと思います。

 

 極端にいろいろな物を経験しても、鍼を刺すという真実は一点なので、いろいろ経験しなよというのも一つの真実なので、自分はどちらをしてみたいか?という点で決めてもいいのではないかと思います。

 

 現場に出てすぐの段階では切皮痛が出るから鍼をしたくないという人もいるかもしれませんが、鍼を望んでいる人がいて、自分しかできないのであれば、やってあげることが必要ですし、やらないというのは社会的な損失だと思います。

 

 例えば、看護師が注射針を使用するのは技術が向上してからやりませんという状況になってしまえば、検査をするための採血をする人が限られてしまい、必要な人ができないという状況になってしまいますよね?これが社会的な損失で、ちょっと痛みが出るというのと比べると全体で考えると損失が大きいということです。

 

 もちろん、向上を目指す、自分の力量は知るということは大切なので、自分の力量をしり、努力を続けることで、受けてもらえる人に感謝をしていくことが大切なのではないかなと思います。

Pocket