中国には中医学、韓国には韓医学がありますが、これは現代医学の医師と東洋医学の医師で2つに分かれているからです。日本では、医師は現代医学のみであり、日本の医療体系は現代医学になるので、東洋医学である漢方や鍼灸は日本全体を指す、日本医学とは呼べないので、鍼灸や漢方は、日本鍼灸、日本漢方と表現していくことになります。
では、日本鍼灸とは一体何なのでしょうか?
理論体系としてまとまっているのは中国であり、古代から中国のやり方、考え方を踏まえながら、独自に発展したと考えられますが、何が発展したのでしょうか。
全日本鍼灸学会では、2011年6月19日に「日本鍼灸に関する東京宣言」というのを出していて、日本鍼灸を世界で理解してもらい、鍼灸に関する知見を広く発信するとありますが、「何」を理解してもらい、「何」を広く発信するのでしょうか。
この「何」が日本鍼灸ということであり、売りの核になっていくものでしょうが、「核」が見当たりません。個人的に「何」ということで興味があるので、それとなく、いろいろな方に「日本鍼灸とは何か?」という問いかけをしてみたことがあります。
一般の方からしてみたら、「怪しい」「痛そう」「効きそう」「美容?」という回答を得られることがあり、「鍼灸は日本以外でもやっていたのか」「中国からきた物だけど違うの」という回答でしたね。周りで鍼灸を受けたことがある人がいれば、知識は入りますが、全く入らない人もいるので、知らない人は、まず「日本鍼灸とは」以前に知らない感じですね。
では、日本鍼灸を行っているはずである日本の鍼灸師に尋ねてみると、市井の鍼灸師だと、「よく分からない」という回答ですね。もちろん、全員が同じ回答と言う訳ではありませんが、他を知らないから、正確に違いを表現できないのでしょうね。
ちょっと知っている鍼灸師であれば、「接触鍼」「少ない鍼」「細い鍼」という回答ですが、多分、これは学校教育の中で中国鍼をやっているでしょうから、中国鍼は太くてしっかりと刺入するということの対比として出てきている表現なのではないでしょうか。
業界をよく知っているであろう人に尋ねてみると、上記の意見が出てくることもありますが、まとめてしまうと「多様性」にあるという回答が出てきますね。もちろん、全員に対して尋ねられる訳ではないので、他にも意見が出てくるでしょうが、「多様性」って、特徴と言えるのでしょうか。
他の国に違いを意識してもらうにしても、うちはいろいろあるというのでは何が特徴なのかが分からないですし、相手がやっていることを、うちにも実はあってねという話し方は、聞いていてもあまり気持ちがいい感じはしないですし、違いがないので特徴とは言えないです。
例えば、新しく出来た飲食店があったとします。そのお店は、うちは、全部が売りですと言われたら、その店に何度も足を運びますか?
もちろん、一つ一つが素晴らしい物であれば、継続して通うでしょうが、油物は苦手、野菜は好きではない、香りが強いのは苦手、辛いのは苦手という意見もあるでしょうから、その店の売りである、「全部が売り」というは、売り手側の意見であって、受取り手のことを考えていると言えるのでしょうか。
もし、私が「全部が売り」というお店に行った場合は、「今日の一番の売りは何ですか?」と質問します。それでも回答が「全部が売り」だとしたら、自分の興味がある物だけを選ぶか、知らない物を選んでいくかを分けますね。「今日の売りは○○」と答えるお店もあるでしょうし、お勧めがあるのであれば、「特に」という物があるはずなので、お客側からしてみたら、「特に」という「特徴」を知りたいですよね。
では、日本鍼灸に置き換えると、どうでしょうか。
業界全体として考えようとすると、鍼灸師の何が売りで、学問・技術は何が土台なのかを考えることが難しいです。そこで学問・技術の土台となる基本を学ぶのは制度的にどこなのかを考えていくと、鍼灸の学校になるので、学校が特徴の土台となることをやっているのではないでしょうか。
学校のホームページを見てみると、現代鍼灸、中医学、美容、スポーツ、日本鍼灸(一部の流派?)になっています。ということは、日本鍼灸というのは流派ということになるのではないでしょうか。
では日本鍼灸は流派が特徴ということになりますね。私自身が全ての流派に精通していないので、伝聞での話も含みますが、全体に渡っての共通の特徴は何なのでしょうか。
独断と偏見で言えば、診察と治療技術の2点で特徴があると思います。
診察では「切診(触診)」、治療技術では「細い鍼で刺入は浅く鍼数が少ない」ではないでしょうか。
切診で具体的には何が特徴かと言えば、体表所見、腹診、脈診が重要ではないでしょうか。この部分を特徴として切り離していけば、例えば、言葉が通じない人達に対しても、日本鍼灸では、触って診断し、治療が出来ると言えるのではないでしょうか。
治療技術では細い鍼で刺入は浅く鍼数が少ないのが特徴と言えるので、鍼が怖い人、初めての人、苦手な人、道具が十分にそろっていない場合でも行えるので、世界各地のどこでも、いつでも治療がしやすいのが特徴と言えるのではないでしょうか。
ただ、一つの問題点としては理論です。診察は治療と密接に結びついているものであり、治療をしたから改善も診察で評価することができます。理論は、流派が違うと理論が違うので、診察の情報は治療に利用することが出来ない状態になってしまいます。と、まとめるのが通常でしょうが、理論は中医学でも、流派でも何でもよいのではないのでしょうか。
例えば、中医学では、お腹が弱いのであれば、脾気虚証であり、漢方では葛根湯、鍼灸だと、三陰交と足三里と出せますが、これを、そのまま使い、お腹が弱いから、三陰交と足三里に接触または浅鍼で置鍼するとしてしまえば、いいのではないでしょうか。こういった使い方であれば、理論の根拠となる文献を基礎文献として規定することができますし、東洋医学の陰陽、五行、五臓、経絡、病因を理解しておけば使いやすいですよね。中医学、韓医学からでも代替は可能なので、応用の範囲が広くなるのではないでしょうか。
例えば、刺入の鍼を浅鍼に変更してみて、効かなければ刺入する、鍼数を増やすという形にすれば、日本鍼灸の土台と言える形が存在しますよね。診察も、脈が好き、得意な人はすればいいし、他の診察の方がいいという人はそれでいいのではないでしょうか。こうやって違いとして明確にすれば、今まで刺入している国の人達には、それを日本流として浅鍼にしてみるといいし、鍼数を減らしてみることができると紹介できますよね。
細かい特徴やいい部分というのはあるはずですし、歴史的にも大切な物も多くあるので、日本鍼灸の特徴である診察・治療技術の細目として足していけばいいのではないでしょうか。
例えば、日本で発祥した独自な物である打鍼は、腹診と接触を組み合わせたものになるので、技術の項目、治療技術の項目として列記が可能ですよね。こうやって、形のゴールを決め、そこに細分化し、入れていけば、いろいろな物が集約してまとまっていきますよね。
診察・治療は、2つに分けて考えているので、陰陽論として捉えていけます。東洋医学の元である、東洋哲学は複雑な自然現象を分かりやすくシンプルにしたものなので、複雑で、多様性がメインであることを言ってしまうということは、中心となる哲学がないということなのではないでしょうか。となると、日本鍼灸は東洋哲学と距離があるのですかね。
何故なら、哲学というのは、自然や物事などについての本質を考え抜くものであり、どのような物にでも応用できる土台となる物といえますし、哲学を身に付けていけば、物事を考える土台として機能するので、物事を俯瞰して見られることにも繋がるはずです。
歴史を経ていくことで、対立や新しい解釈が生まれていくのは、歴史的に見てもあります。例えば、世界の宗教でも同じ元でありながら、違う物がみられていますよね。日本という狭い国で、戦後からという短い期間での発生を多様性とまとめてしまうのは強引ではないのでしょうか。
その前の江戸期の情報もしっかりと分類整理し、それを含めてまとめるという意見もありそうですが、それだと、いつまとまるのでしょうか?そして、江戸期を含めてまとめたときに、江戸期のやり方が現在と大きく違う物が出てきて、日本鍼灸を定義した場合、現在やっているやり方を全員が変えられるのでしょうか。
日本鍼灸とはというのは現在であり、江戸期は過去になるので、江戸期を含めてというのであれば、それは現在の日本鍼灸が成立してきた経緯ということであり、日本鍼灸とは何かとは別な話しですね。
独断と偏見たっぷりに日本鍼灸とは何かと考えてみましたが、おそらく、日本鍼灸は多様性を出したままだと、他国で成立した分かりやすい物が土台として置き換わってしまっていき、日本鍼灸はどうやら、いろいろなやり方をしていて、変わったことをやっていた人達がいたよという歴史の遺物になっていくのではないでしょうか。
その理由としては、日本の工業製品から見ていくことができます。日本の工業製品は品質がいいということで評判ですが、江戸期の絹織物から始まり、自転車、車、テレビなどに繋がっていっていますが、多様性と言う物を発揮するのではなく、品質ということで、日本製はブランド化していますね。余談ですが、日本製という名前のブランドを使った、中国衣服や和牛で、一部、話しが出てきているので、日本製は「品質」という特徴を持っていると言えます。
では、全てが成功したのかと言えば、パソコン、携帯電話は、品質がいいはずなのに、普及せずに縮小していますが、何が原因なのでしょうか。これは、パソコン・携帯は独自性・多様性をうたっていったために、どんどんとガラパゴス化してしまい、他国では使いにくいし、広がらなかったですよね。
消費者はその中での選択でしか選べなかったので、その中から選んでいましたが、「分かりやすい」「使いやすい」「シンプル」が売りにした海外製品の押されてしまっています。車の価値としては丈夫で壊れないというのが重要ですが、パソコン・携帯は丈夫である必要もありますが、使いやすさ、分かりやすさが重要だったのですね。
こういった商品には、実はコモディティ(経済価値、汎用品)という考え方も含まれるので多様性だけでは正解ではないです。簡単に説明すると、革新的な商品が出たとしても、そのうち、どこの会社でも作られるようになり、革新的な商品は、いつか日用品という位置づけとなり、最初に革新的な商品を出した会社の売上は落ちていってしまうことになります。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫、パソコン、携帯電話、スマートフォンなどがそうですね。今後、気が向いたらコモディティ化と鍼灸についてはブログにしてみようかなというところですね。
さて、日本鍼灸は多様性のままだと、どうなるのでしょうか?
鍼灸は患者さんとの信頼関係も重要だし、日本鍼灸から離れないと言う考え方も出来るでしょうが、それは患者さんに依存した状態なのではないでしょうか。内圧が加わることはないという考え方もできますが、人口が減る状況の中で、どの学会・団体も人が入ってこないという話しを聞くことがあるので、今ある物自体を維持できなくなるところが多々出てくるのではないでしょうか。
日本鍼灸とはというのを謳っていったとしても、指示する人達がいなくなってしまえば、どんなにいい物であっても無くなってしまうことになります。周りに理解してもらうということは、明確な特徴があったとしても、知れ渡るまでに時間も必要なので、今、特徴をうたうとしても、理解されるのは数十年後なのではないでしょうか。
恐らく日本鍼灸という形がまとまらないのは、それぞれの分野、考えの人達が、自分達の考えを通すために、相手の意見も通すことで、形としてまとまらないのではないでしょうか。もちろん、歴史的に残っている物、現在ある物を大切に残すというのは、いいことでもありますが、将来に渡って混乱するのであれば、まとめる必要があるのではないでしょうか。
まとめたとしても、多様性として認め、文献や映像をしっかり残し、同じような技術、内容でも言葉が違うのを、より上位の用語としてまとめることが、将来に渡る混乱の予防、普及に大切なことなのではないでしょうか。
と好きに持論を展開していますが、こういったまとめがしたいと思うのであれば、業界・学会に出て、活動しろという意見になるのが当然でしょうね。
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形を決定して、発表するというのも一つですが、当たり前の状況が出来ることで、そこから特徴が勝手に抽出される状況もありえるのではないかとも思っています。いろいろな活動は、自分は考え付かなかった物も多く、否定的になりがちですが、まっさらな気持ちで眺めてみると面白さもあるなという状況ですね。