東洋医学的な治療

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 東洋医学的な治療をしたいという鍼灸師は多いですし、東洋医学的な治療をしている鍼灸師もいますが、本当に東洋医学の治療ってしているのでしょうか?

 最近、治療をしていて感じるのは、そんなに身体は単純でもないという点ですが、以外に単純なところもあるという複雑な心境です。

 

 通常は、全体として考えていきながら、身体の気血津液はどのような状態になっているのか考えていくことが増え、患者さんの状態の把握、食事療法を考えていくために漢方系の書跡を読むことが増えています。

 

 漢方の書籍を見ると、鍼灸だと肝脾不和で終わってしまうような状態でも、肝の疏泄が強くなってしまって、脾の働きが低下してしまい、気血の生成が不足してしまったために、血の不足の状態が発生し、水の流れがうまくいかないために痰湿も若干たまっているというような文章を見ることがあります。

 

 こうやって見てみると、漢方系の書籍は本当に東洋医学の臓腑、気血津液で身体の状態を考えているなと感じることが増えました。

 

 漢方は証に合えば抜群の効果を発生させるというのも目にするたびに、東洋医学での考え方を理解していくためには、漢方に書かれているような病能把握をするべきではないかと感じることが増えています。

 

 鍼灸だと、流派はもちろんですが、私自身も施術パターン化していく傾向があり、使用する経穴、鍼を刺入する順番、治療の手順が決まっていってしまうために、本当の意味で東洋医学で考えて施術するような状況になっていないのではないかという疑問も生じています。

 

 治療は仰向けから施術を始めることが多いですが、座位から、うつ伏せから施術を開始した方がいい状況もあるはずで、身体の状態、気血津液、臓腑によって順番を考えて施術を組み立てていくのがいいのではないのでしょうか。

 

 身体が変わったか判断は、脈、腹診、体表所見、顔色などでも判定できるので、施術をしていきながら、確認をしていくことで、気血津液、臓腑にアプローチをして、身体の状態を変化させていくのは面白いのではないでしょうか。

 

 いろいろ考えながら施術をして、漢方系の書籍を読んでいると、結局、『傷寒論』の手のひらの上で踊っていると感じることが多々あります。

 

 2000年近く前に、病能の把握だけではなく、病状が変化していくことで、気血津液、臓腑、経絡が変わっていくというのは、すごい着眼点だと思いますね。

 

 いろいろな治療を組み込みながら、自分なりの施術体系を作ってきたつもりですが、自分の施術はまだまだ何も考えていないレベルなのではないかと反省している部分もあります。

 

 東洋医学は、本格的に学習して利用すれば、大きな効果を出すことも可能でしょうが、鍼灸という技術が強い分野に収まっていると、全体を見通しながら施術をするのではなく、小手先だけになってしまっているのではないかという不安も生じています。

 

 

 いろいろな症状の方を診ていくたびに、東洋医学で考えていくと、身体の奥深くまでのぞき込めそうな感じがあり、楽しいところがありますね。まだまだ漢方系の知識が少ないのが辛いところですね。

 

 漢方も処方できるようであれば、より細かい状態まで合っているのか確認できそうですが、現状は、漢方の処方権はないですし、ツボを利用していきながら、身体を変化させるしかないですね。

 

 

 そうなってくると、ツボに関する勉強もしないといけないとなってくるのですが、つくづく実感するのは取穴が難しいところですかね。

 

 答えがある中で施術をしている訳ではないですし、自分なりの取穴の仕方というのも探していかないといけないのかなというのが最近の感想ですね。

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