温病(うんびょう)―温病四大家

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 傷寒と並んで有名なのは温病ですが、温病はどのような変遷を辿って発展をしてきたのでしょうか。

 温病は急性の熱性伝染病として考えられているのですが、その根底の概念は『素問』の生気通天論の中に記載があります。

『素問』生気通天論

冬傷於寒、春必温病

 

 『素問』では生気通天論以外にも温病に関する記載もあるのですが、有名なのは上記の文章ですね。『難経』五十八難の中にも温病という記載があります。

『難経』

傷寒有五、有中風、有傷寒、有湿温、

有熱病、有温病

 

 書かれている部分を読んでみると、温病単体での話というよりは、傷寒の病になってしまうと、熱が強い状態が発生をしてしまうことや、冬に寒邪によって身体が障害をされてしまうと、春や夏に熱病になってしまうという、体調が落ちると次の季節で体調がより悪化をしてしまうという考え方なのではないかと思います。

 

 例えば、『傷寒論』の中の記載では以下に温病の記載がありますが、

太陽病、発熱而渇、不悪寒者、為温病

 

 意味としては「太陽の病になると、発熱して渇きがでて、悪寒がない者は温病となる」という意味ですが、現在でいう但熱不寒という状態を温病としているので、熱だけの病を温病という定義で使っていたのではないでしょうか。

 

 その後に多くの人が温病に関して考えていたようですが、傷寒という病との関係性がやはり重要だったのではないかと思います。『脈経』で有名な王叔和は「時行」という概念を導入し、「時に流行る」という概念で温病を定義しているのではないかと思います。

 

 巣元方の『諸病源候論』の中には温病諸侯ということで、温病についての記載がありますが、冬に傷寒にあたったことにより、身体の深部に残り、それが温病として生じるものであると書かれているので、傷寒と温病は関係性があるものだと考えられますが、「温病令人不相染易候」とあるので、温病は感染するという概念があるということが分かります。

 

 熱による病ということを言及しているのは、金元四大家の一人である劉完素になり、病の原因を熱であるという定義をしていますが、温病の基礎というよりは、熱により身体の調子が崩れるというのをまとめた人とも言えるかもしれないですね。もちろん、熱による方剤も書かれているので温病の治療では重要な部分だと思います。

 

 ここまで調べてみると、温病は独立したものなのか、傷寒なのか、傷寒から発生する熱病のことなのか悩むことになりますが、王履(1332~1391)は「世以温病熱病混称傷寒」という考え方を示し、温病と傷寒を分けた人だと考えられています。

 

 明代(1368~1644年)では、疫病も多く発生をしていたようで、呉有性が風邪や寒邪などではなく、その他の物によって病が生じるということで、『温疫論』という書籍を書き、温疫として温病の概念を確立し、温病は口鼻から入るという説をまとめたようですね。

 

 清代になり、温病についてまとまっていくのですが、重要な四人の人物のことを温病四大家と読んでいます。

 

 葉桂(葉天子:1667~1746)は著作が少なかったようですが、現在、温病において用いられている衛気営血弁証を作った人物であり、後代の温病研究において重要な人物になります。

 

 薛雪(1661~1750年)は『湿熱条弁』と言う著作があり、温病においては重要な人物だとされており、呉瑭(鞠通:1758~1836年)によって温病弁証の三焦弁証が作られています。呉瑭は『温病条弁』という書籍も書いています。

 

 王士雄(1808~1868年)も温病においては重要な人物とされ、四大家と言われているのですが、手元に書籍が少ないので、どういった内容なのかは分からないです。

 

 温病は発熱性急性伝染病だと考えられていて、これ以後も研究が進んでいくのですが、伝染病は現代医学の得意とするところでもあるので、現代医学の発展とともに、抗ウイルス・菌の薬によって対処をしていく状態になっていっています。

 

 傷寒も温病もその考え方は東洋医学の治療において重要な概念になってくるので、現在も傷寒の病、温病の病で漢方薬を使い分けていくことになります。簡潔にまとめれば、傷寒は冷えから始まる病、温病は熱から始まる病ということになるのだと思います。

 

 温病に関する書籍が少ないので、中国のサイトなどを参考にしながらまとめてみましたが、まだまだ不十分なので、今後も検討をしてリライトを行っていこうと思います。今まで温病に関してはまともに調べていなかったので、自分の勉強になりましたね。

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