五神と智恵

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 東洋医学では自然に対する畏敬の念があり、身体には生命力という不思議な力が宿っているので、身体の中にある臓にも不思議な力が宿っているという考え方があり、五神と言われます。

 身体の中にある臓器はただの肉の塊ではなく、何かの力が働いて存在し、機能することで生命力を養っているので、手を合わせたくなる対象ということで五神を考えだしたのでしょうかね。中国だと道教という多神の考え方があるので、自然や生命、物に神が宿るという考え方を取り入れたのでしょうね。

 

1.五神とは

 五神とは、神魂魄意志という5つがあり、他に思慮智という3つがあります。神魂魄意志は五神と言われるように、五行に分類していくことができ、機能は以下の通りになります。

 

  • 心:神:人の生理活動、生命活動
  • 肝:魂:感覚、運動、情志
  • 肺:魄:思索、評価、判断
  • 脾:意:思考、推測、記憶
  • 腎:志:保存、維持

 

 五臓と五神の関係は経穴も同じなので、心兪の横が神堂、肝兪の横が魂門、肺兪の横が魄戸、腎兪の横が志室になり、各臓には神が宿るとしています。

 

1)神

 神は人の生理活動、生命活動に関与しているので、人の生命の根本は神とも言え、他の神を統率する力があります。この考え方は、心の機能としても同じことになるので、生の本と言われる心と密接な関係があります。

 

2)魂(こん)

 魂は気機や情志の調節を行う働きがあります。気機とは、身体における気の働きなので、全身の機能調節とも言え、精神活動の調節にも関与しています。魂は「たましい」とも読みますが、心の中の陽性の部分という意味があり、陽の働きが強いために、昇りやすい性質があります。神が全体の支配をしていますが、神の支配が弱くなる時(寝ているとき、酩酊時)では、理性である神の支配が薄れ、感情調節を行う魂の働きが活発になるので、情志の移り変わりが大きくなりやすいです。

 

3)魄(はく)

 魄は感覚や運動などの機能があり、本能的な要素が強くなるので、生まれ持って出来ることや、自然に出来る行動は魄の支配下にあると考えられます。例えば、動物は産まれると、吸乳という動作を習ってもいないのに行えますが、魄の機能によって成り立っています。

 

4)意(い)

 意は思考という機能があります。フランスの哲学者であるブレーズ・パスカル(1623~1662年)は「人は考える葦(あし)である」という言葉を残しましたが、思う・考えるというのは人が持つ根本の機能とも言えるので、意は非常に大切ですが、思う・考えるだけでは成り立たないので、他の神気の力も必要になります。

 

「人は考える葦」

 哲学的な用語なので解説するのは難しいですが、人は自然の中で考えれば非常に小さな物ですが、考えるという精神の力があることが大切という意味にも取れますね。他には、硬い樹木であれば強い風雨に耐えられたとしてもいつか折れてしまいますが、葦は簡単に倒れるけど折れないので、また立ち上がることができるという意味にも取れますね。

 

5)志(し)

 志は記憶や経験という機能があるので、学習していくこということは、志の働きが重要であり、忘れてしまうのは志の働きが弱くなってしまったためと言えます。記憶や経験は、継続する力ないと積み重ねられないので、継続する力は志の働きと言えます。

 

6)他

 新しい教科書では五神についての説明で終わっていますが、旧教科書では、思慮智という3つの働きがあるとしていて、思は思考を含んだ心、慮は熟慮すること、智は最善の判断を下すこととしています。原文は『霊枢』の本神の中に書かれています。

 

『霊枢』本神

岐伯答曰、天之在我者徳也。地之在我者気也。徳流気薄而生者也。

故生之来謂之精。両精相搏謂之神。

随神往来者謂之魂。並精而出入者謂之魄。

所以任物者謂之心。心有所憶謂之意。

意之所存謂之志。因志而存変謂之思。

因思而遠慕謂之慮。因慮而処物謂之智。

 

2.五神の相互関係

 五神は5つに分かれて、臓と対応しているだけではなく、相互に影響をし合いながら、協調して働いています。人も5人集まれば、さらに少数のグループになって、まとめ役が出てくるので、五神も同様にグループ分けとリーダーがあります。

 

 リーダーとしての統率する機能は神になるので、神がまとめないと成り立たないので、生命の本質ともなります。5つのうちでリーダーが決定しているので後は4つになるので、4つは2つずつに分けていくことができます。

 

 分類としては、魂魄と意志として分けられますが、分けるということは陰陽論を使っていることになるので、魂魄は陽、意志は陰として捉えていくことができます。陽は動、陰は静という性質があるので、魂魄は活動、意志は心の内面として考えていけます。

 

1)魂魄

 魂魄は、魂が「たましい」であり、魄が「物体」として捉えていくことができるので、人は魂(たましい)と魄(肉体)から出来ていると考えていくことができ、さらに陰陽に分類すると、魂が陽、魄が陰になります。魂魄は意志と比べると陽性に関係するので、動作と関係をしやすいですが、本能的な動作を指すことが多くなります。

 

 魄は運動との関係がありますが、魂が揺れ動きやすく、絶え間なく発生する感情があり、その処理を行っているのが魂になるので、魂魄からは感情が発生することになります。

 

2)意志

 意志は、意が考えることと関係し、志が保存や経験と関係をしているので、魂魄と比較したら精神との関係が深いです。意と志は陰陽で分類すると、志は保存と経験であり、意は考えるという精神の動きになるので、志は陰で意は陽になります。

 

 意という考えることは、経験が重なるほどに成熟していくので、意と志は相互に影響し合いながら強調して働いていることになります。

 

3.五神と智恵

 新教科書では、意と志の機能によって思慮・知恵として現れてくるという話しが書かれていますが、自分なりにもう少し考察をしてみたいと思います。

 

 思慮と智恵について考えていくと、思慮智は、思ことで慮となり、智として出てくるという記載が古典の中にあるので、順番についても考えてみてもいいのかなというところです。

 

 ちなみに、智恵は知恵、智慧といくつか漢字があるのですが、仏教での考えとして「智慧」「ものごとの理を悟り、適切に処理できる能力」ということで重要な概念としての言葉のようですね。ちなみに、「知」「智」は、「知」が知らせる、知り合いというように「知っている」ということと関係する用語で、「智」は理解、知能、賢さと関係しているので「よく知っている」という用語みたいですね。

 

 智という漢字は、儒教思想では五常(仁儀礼智聖)にもあり、「智」は道理を知っているという意味になるので、「知」の状態とは違うということですね。

 

 思慮や智恵は、人の精神が安定することで外に出てくるものであり、行動ににじみ出る物なので、五神が正常に機能をして初めて外に出ることが出来ると言えます。五神がしっかりしていることで、「思う」ことができ、思いつきですぐに行動するのはよくないので、しっかりと熟慮「慮」し、最終的に判断を下す「智」になるので、智恵が生じるためには、ただ単に知識があるだけではなく、精神が安定し、熟慮する必要があります。

 

4.まとめ

 五神は学生時代にはそれほど考えもしなくて国家試験対策程度にしか学習をしていなかつたのですが、心について深く考えるのであれば、五神と思慮智は非常に大切な用語なのだなと思いました。

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