東洋医学は進化する医学

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 東洋医学は伝統医学と呼ばれ、中国古代の内容を現代で利用しているので、過去の物を流用し続けていると思われるかもしれませんが、時代によって進化していっています。

 東洋医学のルーツとしては、呪術のようなものだったとも考えることが出来、何かに対して手を当てて変化させていたのが、道具になり、鍼灸という物に変わったともいえます。いきなり鍼灸という道具を発明したというより、押してみて変化がでたから、道具に変えたらどうかという方が歴史としては納得ができますね。

 

 そう考えると、経絡と経穴の歴史では経穴の方が先で、経穴の連携、体内や体表をつなぐ説明として経絡が発展したのだろうと思います。

 

 呪術的な要素が強ければ、道具による違いなどもあったでしょうし、鍼灸においてもだんだんと用具が発達し、九鍼が出来たのではないかと思います。鍼の道具は細かい物なので、技術が発達しないと細かい道具を作成するのも時間がかかったでしょうから、それなりの年月が必要だったのではないかと思います。

 

 『傷寒論』や『黄帝内経』が漢代前後に設立されたのであれば、東洋医学を学習する書籍が生まれたということなので、これ以後の時代に東洋医学が広く普及し、用いられていくようになったのではないでしょうか。

 

 司馬遷の『史記』の扁鵲倉公列伝では六不治ということで、「巫を信じて医を信じない」ことをあげていますが、呪術と医術を分類する考え方は、『史記』の時代にはすでに成立していたようなので、漢の前の時代から少しずつ医学としてまとまっていったのだろうなと思います。

六不治

驕恣不論於理、一不治也

軽身重財、二不治也

衣食不能適、三不治也

陰陽并、蔵気不定、四不治也

形羸不能服薬、五不治也

信巫不信醫、六不治也

 

 漢以後の時代では、東洋医学は紆余曲折を経ながら医学の中心として利用されていきますが、金元の時代(1115~1367年)では、金元四大家が出てくることによって変化していきます。

 

 金元四大家は、劉完素(りゅうかんそ)、張従正(ちょうじゅうせい)、李東垣(りとうえん)、朱丹渓(しゅたんけい)で、それぞれが独自の治療理論を展開していくことで、後の時代に影響を与えていきます。

 

 この金元時代での考え方や治療は変化と捉えることができますが、進化として考えることが出来るのではないでしょうか。そう考えると、日本における東洋医学、つまり中国伝統医学は、どんどんと進化していっています。

 

 明清代(1368~1912年)では、傷寒の病だけではなく温病(うんびょう)についての考え方が加えられました。理論となるベースは同じなので、新しくはないと考えられますが、それまで考えてもいない治療を作り上げたということは進化とも言えるのではないでしょうか。

 

 中国伝統医学がそれまでの物を体系化して中医学という形にしましたが、現代医学の知識などを踏まえたような感じになり、現代医学を取り込みながら、弁証論治という体系を作り出したのは大きな進歩だったのではないでしょうか。

 

 それまでは、知識と経験が十分にないと治療が出来なかったのが、弁証を立てたことで治療内容が統一され、例えば、遠方の治療に対してアドバイスをすることが可能になったのではないでしょうか。

 

 経験が主の状態であれば、その人に触れてみないと変化がどのように出るのか分からないですし、治療結果の予測がしにくいのが、弁証論治という理論として統一されたことで、弁証さえ出せれば、治療方針・内容を決定することが出来、容易に治療の予後を予測することが出来るようになったのではないかと思います。

 

 知識・理論先行なので、大切なのは体表という考え方をすることも出来るでしょうが、大きな変化は進化とも言えるので時代にあった形に進化していったと捉えることができます。知識・理論が整って、治療方針まで統一されたことで、東洋医学に馴染みがない他国への普及にも貢献できたのではないでしょうか。

 

 もちろん、中医学でもいろいろなところがあるので、これだけの考え方ではないでしょうけど、徒弟制度を通してでしか身に付かないというのであれば、広く普及することはできなかったはずなので、広がるための進化だったと捉えてもいいでしょうね。

 

 では日本の東洋医学は進化しているのでしょうか?

 

 過去の時代からすれば進化しているところもあるでしょうが、鍼灸や漢方を生み出す、傷寒、温病、中医学は日本ではあるのでしょうか。

 

 こうやって考えていくと、日本で進化した物としては、鍼管、触診、腹診、接触鍼、浅鍼なのかなと思いますし、江戸期においての古典研究が日本における東洋医学の発展なのかなと思います。

 

 全国的に治療を普及した経絡治療というやり方も、触診、腹診、接触、浅鍼を利用するための形として出来たのであれば、日本流の発展と言えるでしょうね。

 

 経絡治療以後、様々な流派が成立していますが、いろいろなやり方が試されている状況でもあるので、いい部分がある反面、どうやってまとめていくのかが気になるところです。

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