現代語訳傷寒論2―平脈法

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 引き続き傷寒論を読んでみたので、ブログにアップしておきますが、やっぱり漢文を読むのは難しいですね。正確に読めていないでしょうし、内容の理解もまだまだ甘いですが、そのうちしっかりとしたものをアップできればいいなと思います。

 脈には三部あり、陰陽が互いに影響しあっている。営衛や気血は人の身体にあり、呼吸による出入りで、身体の上下や内に靭帯に気血営衛が流れる。呼吸の活動によって、津液が全身を流れます。

 

 季節の動きに従って身体の気血が働くので、脈の形状も季節によって違いが出ます。春は弦脈が生じやすく、秋は浮脈となり、冬は沈脈になり、夏は洪脈になります

 

 季節の移り変わりと脈を理解して脈を診たとしても、大小などが同じということはなく、ある程度の間で脈を診れば、変動よりも常態を理解することができます。

 

 尺と寸の脈でも違いが生じ、短く感じたり、長く感じたり、上下が解離してしまったり、ある時は感じ、ある時は感じない、病がたちまちよくなったり、病の状態がよくなったり悪くなったりと、心の迷いが生じ、身体の道理を失ってしまうことがあります。

 

 知っていることもありますが、迷いもあるので、診察ができない。お願いですから、詳細を知り、鑑別が分かるようにしてほしい。

 

 師が答えました。あなたの問いは道の根源です。脈には尺、寸、関の三部があり、営衛が流れています。営衛の流れのバランスを失わなければ、腎は沈、心は洪、肺は浮、甘は弦であり、これは常態として変わらず、バランスが取れています。

 

 営衛の気は身体の上下・内外を一定の速さで身体を循環して、寸口で診ていくことができるので、虚実を診ることができます。

 

 身体の中の変化、外気の変化は相互に影響し合うので、陰陽が混ざり合うことになります。

 

 風は浮虚、寒は牢硬、沈は沈み水が貯まった状態である。支飲は急弦になる。動は痛み、数は熱になります。

 

 このように一定はあるが、この通りにいかないこともあるので、変化する場合も知っておかないといけないです。三部が同じではなく、病がそれぞれに異なっていく場合もあります。過ぎる場合はおかしいと感じることがあり、足らないときも同じです。

 

 邪があると、脈は素直な状態ではなくなり、終わりには必ず邪気があります。邪があるような状態であれば、身体の表裏を調べ、三焦ではどこの問題かと分けることが重要になります。病のあるところを見きわめることで、迷いがなくなり身体の状態を見きわめることができます。

 

 臓腑にどのように進行していくのかを考えられるようになれば、神のように病情を見ていくことが出来ます。これを記すことで、後代に残していくことができるので書き残しました。

 

 師が答えました。呼吸は脈と大きく関係します。脈を触れたときに、脈の来るのが速く、去るのが遅いのは、出疾入遅といい、内虚外実と言います。脈を触れたときに、来るのが遅く、去るのが速いのは、出遅入疾病といい、内実外虚といいます。

 

 医者として力量が上の人は見るだけで分かり、中の人は話しを聞くだけで分かり、下の人は脈を診てわかるというのはどういうことなのでしょうか。

 

 師が答えました。病人を世話している人が、病人が発熱して苦しみ、身体も痛く、床にふせているのと言われたときに、脈を診て、沈遅のときにその差を知ることになります。

 

何故、知ることができるかというと、もし、表に病がある人は脈が浮大になります。今は、脈は沈遲になっているので、よくなることがわかります。もし、病人が強い腹痛を訴えているようだと病人は寝ているのではなく座っています。

 

 脈が浮大になっているものも、その差を知ることになります。

 

何故、知ることができるかというと、もし、裏に病がある者は脈が沈細になります。今は脈が浮大であれば、よくなることがわかります。

 

 師が病人世話している人が、病人の発熱がひどくなっていると言ってきて、次の日に病人のところに行ったら、病人は壁に向って寝ているが、熱はすでになくなっていました。この場合は脈が病能と会わなくなり、熱があるのは虚言であり、既に治っています。そのために、見られないように壁に向って寝ているのです。

 

 医師が来たのを聞いても、驚かずに、起きて医師をにらみ、少しだけ話しをして多くを話さず、脈を診ようとすると唾を飲む場合は、詐病になります。そのために脈は正常です。患者には、この病は大変重く、嘔吐薬・下剤を服用し、鍼灸は数百か所するとよくなると伝えるといいです。

 

 脈を診て、病人にあくびがない者は病がないです。脈を診ているときにうめく者は病があります。話すのが遅い人は風があります。頭が揺れて話すのは、裏に痛みがあります。行動が遅いのは、表が強張った状態になっているからです。座ってから寝るのは、呼吸が弱いです。座っていて足をくずすのは腰痛があります。裏に実があるとお腹を護るように、身体を丸めているのは胸痛があります。

 

 伏気(身体の表に現れてこないようなこれから出てくる病)は、診察をしっかりとすることで知ることができます。今、伏気が出ようとしている状態だとしても、以前からある伏気も影響し、脈はその状態を現すことになります。もし、脈が微弱だと、喉に傷があるように痛みがあり、これは普通の喉の痛みではないと病人が言った場合は、喉が実の状態になり、痛みが生じていて、今後は下痢をすることになります。

 

 人が恐怖を感じたときの脈はどのようになるのでしょうか。

 

 脈の形は糸が沢山積み重なっているような状態になり、顔色は赤みを失っています。

 

 人が飲食をしていないときの脈はどのようになるのでしょうか。

 

 脈は濇の状態になり、唇は乾燥します。

 

 自分の罪を恥じるような人の脈はどのようになるのでしょうか。

 

 脈は浮の状態になり、顔色は血色を失ったり、赤くなったりします。

 

 書籍には、脈の診方では三菽六菽の重さが大切とあるがどういうことでしょうか。

 

 脈を診るときに指を置くが、その重さのことを言っています。三菽は肺気、六菽は心気、九菽は脾気、十二菽は肝気であり、骨に届くまで深く押すのは腎気を診断することになります。

 

 例えば、下痢をしているときには、寸口関上尺中には、脈を診ることができず、尺中に少しだけ感じ、脈が再び感じるようであれば腎気になります。もし、脈の力が弱くなっているように感じるのは治るのが難しいです。

 

 脈が相互に影響し、縦や横、逆や順というのはどういうことでしょうか。

 

 水が火に乗じ、金が木に乗じるのは、縦という。火が水に乗じ、木が金に乗じるのは、横という。水が金に乗じ、火が木に乗じるのは、逆という。金が水に乗じ、木が火に乗ずるのは、順といいます。

 

 脈で病があるのは、どういうことでしょうか。

 

 脈では弦緊浮滑沈濇があるが、この六脈は病がある脈であり、病によって生じやすい脈になります。

 

 脈で予測できない状態があるというのは、どういうことでしょうか。

 

 例えば、脈が太陽の病の状態を示していて、症状も証と合っているので適切な漢方を処方し服用させたら、食事を食べ過ぎて吐くように、病人が大量に吐き、下痢に腹痛が生じた。このような状態を私は見たことがなかったので、これが予測できない状態になります。

 

 何故、嘔吐・下痢をしたのでしょうか。

 

 もしかしたら、以前に飲んだ薬の影響があり、新たな薬を服用したために生じたのかもしれない。これが予測できないことになります。

 

 東方は肝の脈といいますが、それはどのような形なのでしょうか。

 

 肝は木であり、厥陰に属します。その脈は微弦濡弱で長であり、これが肝の脈になります。肝病で濡弱の人は治りやすく、弦のみの場合は危険な状態になります。何故、これが分かるのかというと、脈がはっきりとした弦の状態のときには、肝が傷ついていることになるので、危険な状態になります。

 

 南方は心の脈といいますが、それはどのような形なのでしょうか。

 

 心は火であり、少陰に属します。その脈は洪大で長であり、これが心の脈になります。心の病で洪大がある人は治りやすく、脈が来るときに微で去るときに大のときには、反の状態であり、病が裏にあることになります。脈が来るときに頭が小さく、本体が大きく感じるようであれば、これは覆といい、病は表にあることになります。上に微で頭が小さいのは、汗が出ることになります。下が微で本体が大の場合は、排泄機能に障害が出るために排尿することができなくなります。頭に汗がない人は治りやすく、頭に汗がある人は危険な状態になります。

 

 西方は肺の脈といいますが、それはどのような形なのでしょうか。

 

 肺は金であり、太陰に属します。その脈は毛浮になります。肺の病の人で、毛浮があり、緩遲がある人は治りやすく、数がある人は症状が激しくなりやすいです。何故、これが分かるかと言えば、数は南方の火であり、火は西方である金を克するので、癰腫が生じ、治りにくくなります。

 

 二月に毛浮の脈がある場合は、どうして秋になると危篤になると言えるのでしょうか。

 

 二月の時は、脈は濡弱になりやすいのに、毛浮になる人は、秋になると危篤になると分かります。二月は肝を使う時であり、肝は木に属し、脈は濡弱になります。そうではなく、毛浮になる人は、これは肺の脈になっていて、肺は金に属し、金は木を克します。他でも同じようになることがあります。

 

 脈で太った人に浮がある場合は、何故、浮が生じているのかを尋ねていかなければいけない、やせている人で沈がある場合には何故、浮が生じているのかを尋ねていかなければいけません。太っている人は沈であり、浮である場合は、身体の状態と合っていないです。痩せている人は浮であり、沈である場合は、身体の状態と合っていないので、何が影響しているのかを尋ね、考えていかなければいけません。

 

 寸脈が下り、関上に至らないのは、陽絶といいます。尺脈が上り、関上に至らないのは、陰絶といいます。これは不治の脈であり、治りません。もし、余命である生死の時を考えるのであれば、だいたい30日ぐらいになります。

※この文章は私にとっては難解で、寸を陽(上)として、尺を陰(下)とするのであれば、寸脈が下るというのは寸で脈が感じにくい、尺脈が上るというのは尺で脈が感じにくいということになるのかが分かりません。後半の死期を悟るという部分も分かりませんでした。

 

 脈の状態は病人だが、症状がないのは、歩く屍のようなものであり、生命力がなく、いきなり倒れ、意識不明になり、命が短い状態です。身体には病がありますが、脈が病人の状態でないものは、内側が虚している状態になります。身体の栄養がない状態であり、身体は辛くても苦しむことはありません。

 

 脈が盛り上がってくる勢いがあるが落ち着いているのを滑というのは何故なのでしょうか。

 

 沈は純粋な陰であり、盛り上がるというのは正しい陽の状態で、この陰陽が合わさって滑になります。関尺が平らで、陽明脈がわずかに沈のときは、食欲があります。少陰脈がわずかに滑のときは、この滑は緊の浮いたところになり、これを陰実とします。その人は、必ず内ももに汗をかき、陰部にしめりを生じています。

 

 人が以前にしたことによって、緊脈が生じるのは何故なのでしょうか。

 

 汗をかきすぎたり、吐いたりして、肺の中が冷えてしまったために、緊脈が生じます。咳をしている人は、座って冷たい水を飲むので緊脈が生じます。下痢をしてしまい、胃の中の物がなくなってしまうことで冷えを生じることで、緊脈が生じます。

 

 寸口(脈診)で衛気が盛んなのは高といい、営気が盛んなのは章といいます。高と章がお互いにあるような状態のことを綱といいます。衛気が弱いのは惵といい、営気が弱いのは卑といいます。惵と卑がお互いにあるような状態のことを損といいます。衛気が穏やかなものを緩といい、営気が穏やかなものを遅といいます。緩と遅がお互いにあるような状態のことを沈といいます。

 

 寸口(脈診)で脈が緩で遅の場合は、緩は陽気が活発な状態になるので、肌の色が鮮やかで、顔色がよく、声もしっかりし、毛髮も伸びます。遅は陰気が活発な状態になるので、骨もしっかりし、血が身体にめぐり、筋肉や肌に弾力もあってしっかりしています。陰陽が調和をしていると、営衛は全身をめぐることで、身体は壮健になるので、強といいます。

 

 趺陽脈が滑で緊の場合は、滑は胃気が充実している状態であり、緊は脾気が強い状態です。胃の実が脾に問題を派生させようとしているが脾が強い状態なので、問題が派生することなく、胃の方に問題が停滞している状態になります。これは、刃物を手でもってしまってケガをしてしまうのと同じになります。

 

 寸口脈が浮で大の場合は、浮は虚で、大は実になります。尺のみ生じている場合は関となり、寸のみに生じている場合は格になります。関は小便が出なくなり、格だと嘔吐することになります。

 

 趺陽脈が伏で濇の場合は、伏は嘔吐があり、飲食物を消化しきれない状態になります。濇は食欲が低下していて食べることが出来ない状態になり、これを関格といいます。

 

 脈が浮で大の場合は、浮は、浮は風によって虚の状態になってしまったことをあらわし、大は気が強い状態になっています。風と気がぶつかりあってしまうと、必ず皮膚に症状が発生することになります。身体は痒くなり、痒みは泄風と呼ばれます。この状態が長引いてしまうと、ひどい皮膚病になってしまいます。

 

 寸口脈が弱で遅の場合は、弱は衛(気)が非常に弱くなってしまっている状態であり、遅は営(気)や中に寒が影響してしまっている状態になります。営は血であり、血が寒におかされてしまうと発熱します。衛は気であり、気が弱くなってしまうと、なんとなくお腹が空いた感じがして、食べたくなるが、お腹が張っている感じがあり、食べることができないです。

 

 趺陽脈が大で緊の場合は、下痢をしていて治りにくいです。

 

 寸口脈が弱で緩の場合は、弱は陽気が不足していることであり、緩は胃気が実している状態になります。ゲップをして胃酸がこみあげてきて、食べても物が入らない感じがあります。これは気が胸のところで停滞していることによって生じます。

 

 趺陽脈が緊で浮の場合は、浮は気であり、緊は寒になります。浮では腹部の張りを生じ、緊は絞痛(しめつけられる痛み)が生じています。浮と緊がともにある状態だと、お腹がゴロゴロといい、痛みが発生します。痛みが生じているのは気が動いているからであり、胸の気が下に落ちてしまったためです。この場合は少陰脈が流れることができない状態になり、陰部が腫れてしまい、生殖機能が減退してしまいます。

 

 寸口脈が微で濇の場合は、微は衛気が流れていない状態であり、濇は営気が足らない状態になります。営衛がなければ三焦は巡らせるものがなくなるので、身体にしびれが生じ感覚を失ってしまいます。営気が不足すると、身体に痛みが生じ、話すこともできなくなってしまい、衛気が弱くなってしまうと、悪寒がして、頻繁にあくびがでて、三焦が働けなくなってしまいます。上焦の働きがだめになってしまうと、げっぷに胃酸が出る感じになってしまいます。中焦の働きがだめになってしまうと、飲食物を消化していくことができなくなってしまいます。下焦の働きがだめになってしまうと、小便がもれてしまいます。

 

 趺陽脈が沈で数の場合は、沈は実の状態をあらわし、数は消化している状態になります。緊がある場合は治りにくいです。

 

 寸口脈が微で濇の場合は、微は衛気が衰えた状態であり、濇は営気が不足した状態になります。衛気が衰えると、顔色の血色を失って黄色になり、営気が不足すると顔色は血色を失って青色になります。営は根であり、衛は葉になります。根と葉がだめになってしまう、営衛がだめな状態は、寒さに震えて激しい咳が出て、唾は生臭くなり痰が出るようになります。

 

 趺陽脈が浮で芤の場合は、浮は衛気が弱くなり、芤は営気が障害された状態です。身体は痩せ、肌はがさがさになります。浮と芤がある状態は、宗気が弱く衰えてしまい、4つのつながりが断たれてしまいます。

※4つの繋がりは臓腑?気?手足?

 

 寸口脈が微で緩の場合は、微は衛気があらくまばらな状態になるので、肌は弱くなります。緩は胃気が実していて、実の状態になるので、飲食物は消化され水が生じます。飲食物が居に入ると、脈の中に流れ、水は経絡にはいり、血になります。営が盛大になると、肌ではあらくまばらな状態になってしまいます。三焦の流れが悪くなってしまった場合を、血崩といいます。

 

 趺陽脈が微で緊の場合は、緊は寒の状態をあらわし、微は虚の状態をあらわします。微と緊がある場合は、呼吸が弱くなります。

 

 少陰脈が弱で濇の場合は、弱は思いわずらっていて、濇は厥逆(手足が冷えている)があります。

 

 趺陽脈が触れられない状態は、脾の上下の働きが低下していて、身体は冷えて、肌は硬くなります。

 

 少陰脈が触れられない状態は、腎気が弱くなっていて、精血が少なくなり、心が落ち着かなくなってしまい、胸のところが苦しくなります。宗気の働きが悪くなり、血は心下で停滞し、陽気は下に降りていってしまうために、熱は陰部へとむかいます。陰部では熱である陽気と陰気がぶつかりあってしまい、身体の機能が低下してしまいます。これは尸厥(危篤のような状態)になります。この場合は、期門と巨闕に鍼をしないといけません。

 

 寸口脈が微で、尺脈が緊の場合は、その人は身体の力を失ってしまい、多汗の状態になってしまっています。これは陽気を失っている状態になるので、身体には陰気が多いようであり、陽気がなくなってしまったように見えます。

 

 寸口脈で微の場合は亡陽であり、濡の場合は亡血であり、弱の場合は発熱であり、緊の場合は寒があることになります。寒が強くなり身体に影響すると厥になってしまい、意識がもうろうとしてしまいます。これは胃に穀気がない状態になっていて、脾の働きが鈍くなってしまい、口から消化器官が働けなくなってしまいます。そのため口の周りが引きつり話すことができなくなり、寒さがあるために身体ががたがたとふるえてしまいます。

 

 濡と弱は、何故、十一の経脈に影響するのでしょうか。

 

 五臓六腑があるので、全部で十一になるので、十一あるからです。

 

 腑に入った場合、臓に入った場合を知るためにはどうしたらいいのでしょうか。

 

 陽と関係する浮や数があるときは腑と関係し、陰と関係する遅や濇があるときは臓と関係します。

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