奇経の働き―奇経と正経の関係

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 正経は臓腑と接続し、相互に接続することで全身を循環しているので、一つの体系としてまとまっていますが、奇経は正経と関わりながら独自の体系をしているので、特殊な物の一つですね。

 奇経の働きは、十二経に異常が起きると、洪水を受け止める低地のように正経からあふれ出たものを受け止める働きがあり、正経の調整を行っていると言われています。しかし、意味が分からなくないですか?

 

 私は全く意味が分からず、病のときには奇経が使えるのだなぐらいの認識で、奇経治療は効果が高いなという印象は残っていますが、正経との関係、身体の働きとの関係はさっぱり分からないままでした。

 

1.奇経八脈の成立ち

 奇経八脈で有名なのは、李時珍(1518~1593年)の『奇経八脈考』ではないでしょうか。奇経八脈に関して詳細に書かれています。さらに昔だと『黄帝内経素問』『黄帝内経霊枢』の中では随所に奇経八脈に関して書かれているので、奇經八脈だけを見ようとしても、難しいですね。

 

 まとまっているところだと、後は『難経』二十七~二十九難に書かれているので、全体像を簡潔に見ていくことができます。『奇経八脈考』では、歴史的に新しいので、それまでの古典の中でどのように書かれてきているのか、どういった注釈があるのかをまとめているので、まとめて学習しようとしたら、『奇経八脈考』が便利ですね。

『現代語訳奇経八脈考』

 

2.正経と奇経の違い

 正経と奇経は身体をめぐる経脈でありながら、臓腑に属絡するのが正経、臓腑に属絡しないのが奇経になります。さらに、正経は臓腑と関わるので、表裏関係がありますが、奇経は臓腑と関わらないので、表裏関係がないです。

 

 正経はそれぞれ始まりと終わりがありますが、肺経から始まって肝経までが一つの環になって繋がっているので、身体を循環しているという考え方があります。本当に循環しているのかというのは除きますが、気血が経脈を元に全身を循環しているという説明を補完・強化していることになります。

 

 奇経は、それぞれ始まりと終わりがありますが、相互に接続しないので、それぞれが独立した走行を持ち、循環していない状態になります。名前が陰・陽と付いているので、対になりやすそうな感じにはなっていますが、独立しているというのは重要になります。

 

 正経は身体全身をめぐる経脈の循環になるので、身体の正常な働きのときに機能し、病や異常がある場合は、正経からあふれ出た気血が奇経に流入することで、正経が壊れるのを防ぐ役割があります。

 

 これは、自然を観察していったときに、河は度々氾濫することがありますが、氾濫する場所はある程度決まってきているというところから、身体の機能、役割を考え、奇経という概念を作ったのではないでしょうか。

 

 正常な状態が正経と考えるのであれば、異常な状態(症状があるとき)は奇経と考えられるので、症状や施術の中では絶えず、奇経のことを考えていかなければいけないのではないでしょうか。この考え方のベースになってくるのが、奇経と正経の関係になるので、次でまとめていきます。

 

3.奇経と正経の関係

 正経は正常な経脈で、奇経は正経から溢れた気血を受け止め、正経を連絡する働きがあるので、正経で足らない機能を補完する役割がありますというのが教科書的な部分ですが、実際は身体の機能や構造をイメージしながら作られたはずなので、イメージを掘り起こしていくことで奇経と正経の関係をみていきます。

 

 正経は中焦という飲食物から栄養が得られるところから始まることで、経脈に気血を送ることになり、各経脈がまとまり1本の包む紐になります。その紐の中にあるのが臓腑であり、正経が接続(属絡)することで、経脈と臓腑の繋がりがでます。

 

 この状態は、経脈で手足などが出てきますが、簡略化したイメージであれば、卵の殻が経脈で、黄身が臓腑と言えます。正経は卵の殻のように硬いものではなく、柔軟性があります。経脈だけでは、身体が隙間だらけになってしまうので、経脈から絡脈、孫絡と分かれていっても、隙間は完璧に消すことはできないですよね。

 

 非常に細かい網の目のようになっていれば隙間があったとしても、大きさがある中身(臓腑)は外に出ることはないですが、しっかりと固定されていないと、中でぶつかってしまい、壊れてしまいます。どこかに固定すれば、中身は安定しますが、正経は既に循環という概念に利用されているので、しっかりと固定するという考え方を入れるのには無理があります。

 

 そこで、督脈という一つの棒を考え、臓腑がその督脈に繋がっている状態にすれば中で臓腑は安定します。さながら、果物が一つの枝から複数出来てくる状態になりますね。督脈は臓腑全体を繋げる役割を担いますが、循環という考え方からしても、1本の棒では足らないですし、下に引っ張られてしまうことで、バランスが悪くなりますよね。

 

 督脈と循環してバランスを整える任脈を作り、任脈と督脈で臓腑の安定性を作りだし、下には生殖器があるので、督脈を中心としながら、臓腑・生殖器を任・督脈でまとめていきます。これで、臓腑の安定性と、正経の循環説が成立します。

 

 ただ、これだけだと人の動きを考えていくときには不足が非常に多いです。例えば、木の棒に紐を巻きつけていくとしたら、どこかに最初はひっかけて、全体を巻いたところで、またどこかにひっかける方が安定しますよね。

 

 さらに、強くしたいところには、何重にも巻きつけることが必要ですが、一部だけ巻く量が多いとずれてしまうので、束にした方が安定します。

 

 髪の毛を結ぶときも、ただまとめて結ぶだけでは崩れやすいですが、三つ編みなどのようにしておくと、髪同士がしっかりと固定しているので、崩れにくいですよね。

 

 ということで、督脈には陽経が全て繋がるようにして、任脈には陰経が全て繋がるようにするとまとまりができてきます。ただ、一か所で一つにまとめるよりも、何か所かでまとめた方がバランスはいいので、陽経をまとめる陽維脈、陰経をまとめる陰維脈を作り、陽経・陰経を陽・陰維脈、督脈・任脈でまとめることになります。

 

 全体が○のような状態で考えれば、これだけでかなりまとまってきているのですが、人に取って重要なのは「立つ」ことでもあるので、「立つ」という非常に力がかかる動作に関しては、足太陽膀胱経の別脈として陽蹻脈、足少陰腎経の別脈として陰蹻脈を作り、立位姿勢を補完する物が存在します。陰・陽蹻脈という2経脈は踵のところから始まることで、立位を保持するのに重要な働きをし、動きのバランスも制御することになります。

 

 全体と立つということでは、これで理論が完成するのですが、上下に走行している経脈がバラバラになってしまわないように、まとめておく経脈が必要なので、この概念として帯脈が存在します。帯脈は上下に走行する経脈達を全部まとめて、バラバラにしないような役割が与えられ、十二経のバランス調整も行っていることになります。

 

 これで理論は完璧といきたいところですが、もう一つ重要なことがあります。人は生物の一種であり、生物の存在理由としては、次世代を生み出すことになるので、生殖器という重要な物があります。

 

 任脈・督脈は生殖器に繋がっていますが、この繋がりは、場所の固定に関与しています。生殖器は生命力と関わるので、全身の経脈が繋がった方がいいのですが、経脈に循環説を持たせてしまったために、肝経ぐらいしか流れていかないことになってしまっているので、生殖器に流れる衝脈が作られます。

 

 衝脈という新しい概念を導入すれば、そこに十二経が繋がるということにすれば、生殖器と全身の生命力を合わせていくことができるので、これで正経と奇経によって、全身の循環説を補完した臓腑経絡説が完成します。

 

 末端部は経脈の接続があるので、奇経によって補完しなくても、途中で整理できるので、末端部は正経だけの支配になり、中枢に向かうにつれ、奇経によって連絡・調整の働きが関与することになります。

 

4.まとめ

 八脈交会穴は臨床効果が高く、よく利用しているのですが、正経と奇経はどんな関係なのか、治療ではどうやって使っていくのかについては、ずっとあやふやなままでした。この考え方に至ったのは、たまたまですが、経絡という走行で、身体を一つにまとめていくためには、正経だけではなく、奇経の概念が必要だったのかなと思いました。

 

 もちろん、こちらで書いた内容はどこかで読んだ、聞いた物ではないので、独自の理論とも言えるので、異論・反論が出て当然でしょうね。とりあえず、自分の中では腑に落ちて整理できたので満足です。奇経に関しては、他にもブログを書いているので、参考にしてみて下さい。

「奇経のツボは交会穴」

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