東洋医学が大好き

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 鍼灸や漢方の人たちと会うと、とにかく東洋医学が大好きでたまらないと言う人も非常に多いのではないでしょうか。

 自分が選んで行っているものなので、東洋医学が大好きになるのが当たり前とも言えますが、それが正しいことなのでしょうか。“好きこそ物の上手なれ”という言葉がありますが、好きなことは時間があろうがなかろうが、とにかくそのことを考えていくことになるので、詳しくもなるし、専門家になれるということですね。

 

 パソコンを触るのが好きな人はパソコンに得意になるし、パソコンが嫌いな人はパソコンが不得意になるので、好きになることは得意になることに通じるのは当然ですね。

 

 私の中では、東洋医学は大好きと言えるのかどうかを考えたときに、大好きではないのかもしれないという気持ちがあるのが事実ですね。東洋医学の身体に対するか考え方は参考になることも多く、非常に勉強になることも多いですが、それが本当に好きなのかと考えると分からないですね。

 

 では現代医学が好きかと言われれば、知りたいとは思っても好きという気持ちとは遠いなというのが素直な感想になります。では、何故、こんなブログをやって東洋医学について書いているのかと言えば、自分の中の知識欲を満たすためと言えますし、自分の中で理解できたことは誰かのためにもなるし、書くのは鍼灸師としての説明能力の向上につながるということからきています。

 

 東洋医学を信じるというのはもちろん大切なのですが、救急の治療に対しては現代医学が得意でもあるので、どちらの医療も重要だと思っているので、東洋医学も現代医学も好き・嫌いというのはなく、鍼灸師だから東洋医学を中心に学習をしているというのが現状だと思います。

 

 現代医学的に鍼灸を行うことも大切なのでしょうが、現代医学の学習においては、やはり医師の学習量の方が多いのは事実なので、身体全体を捉える考え方としては東洋医学の方が便利なところも多いのかなというのが今の感想になります。

 

 例えば、下肢がつりやすいという人がいて、現代医学的に把握するのであれば、身体の水分不足によって生じている、疲労がたまることによって血流が低下してしまって生じていると考えるのでしょうが、“原因が何か”という明確な回答にはなっていませんよね。

 

 東洋医学の場合だったら、精神的に悩むことが多い・年を取るという状態だと、血の消耗が強くなることがあり、血は筋の滋養をする働きがあり、血が筋の滋養できなくなると足や目など筋がつる状態になってしまうので、肝血の不足によって足がつっているのではないかと考えていくことができます。こういった話に関しては、過去のブログの中からのまとめた話ですね。

「東洋医学の血と現代医学の血液の違いは?」

「蔵象とは何か?」

「肝の働き」

「身体の構造と東洋医学―五主・五体」

「肝虚は血虚」

 

 ひとつの症状から身体の中がどのようになっているのかを東洋医学の用語を用いて説明を出来るというのは、東洋医学の独特の考え方です。現代医学的に答えがないものでも対処をすることが可能なので、現代医学で全ての病気を解明して治療が出来るようになるまでには非常に有用性があるものだというのが私の考え方ですね。

 

 人間の身体を全て解明できるようになるのかというのは将来のことなので、分からないとしか言えないですが、いつか解明することが出来るという可能性もあるので、解明をされるようになった鍼灸はどうなるのでしょうかね。

 

 いろいろな仕事が機械に代わってしまうとも言われますが、そういった時代でも“その人”であるという理由が重要になってくるのだろうなと思います。平均を目指して同じになるというのは、どんな仕事でも重要なことでもありますが、他の人でも出来るということは、その人の価値はなくなってしまうので、“その人”になるように努力をしていくのが今後だけではなく現在も重要なのだと思いますね。

 

 東洋医学が大好きかどうかはその人の生き方や考え方に関係をしていくのが多いと思います。善悪2つだけで考えるのではなく、もう少し柔軟に考えたいし、違う分類もあるのではないかと考える傾向がある人は東洋医学だけではなく、東洋哲学の思想が好きな人が多いですね。

 

 例えば、経営者や何かを努力によって成し遂げてきた人は、違うやり方もあるのではないかと貪欲に探すでしょうし、違う考え方という点で東洋哲学に傾倒していく人もいると思いますね。

 

 東洋哲学・西洋哲学となってくると難しく感じることも多いですが、自分がどのように考えていく傾向があるのかということでもどちらの哲学が好きになりやすいかが分かれていきますね。鍼灸師でも西洋系が好きで勉強を続ける人もいますし、東洋系だけが好きという人もいますからね。

 

 東洋哲学は、物事を柔軟に捉えて判断をするという意味に近い中庸(ちゅうよう)という考え方もあるので、東洋医学だけが好きという状態では、本来の中庸とは違い、偏りの状態になってしまっているのではないかという疑問もあります。

 

 哲学とは、その場限りのことではなく、全てに通じる物であるという観点からすれば、東洋哲学には中庸が含まれているので、現代医学もしっかりと取り入れるのが、東洋哲学を身につけていると言えるのかなと思うことがあります。

 

 正解がないものなので、あくまで自分の意見になりますが、東洋医学が好きと言う人は、こういった点はどのように考えているのでしょうかね。

 

 こんなことを書いている私自身は、好きだけど、それだけを愛し続けられないという状態ですかね。

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